亀田役所土塁
北 海 道
2007年11月の訪問は
ココ
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
北海道函館市五稜郭町
五稜郭、柳野城
稜堡式
1869年
江戸幕府
なし
土塁、石垣、堀、兵糧庫
国の特別史跡
奉行所、板庫、土蔵
2016年10月19日
亀田役所土塁は、五稜郭という名のほうが一般的です。五稜郭は、日米和親条約が1854年に締結されて函館を開港するにあたり、防衛上の理由から江戸幕府が築城しました。近世ヨーロッパの大砲による戦争に耐えうるために、最新の技術を駆使し、日本で最後に建てられた西洋式の城です。星型の珍しい形の城ですが、戦時に死角を極限までなくした結果、出来上がった形なのだそうです。
五稜郭は、旧幕府軍と新政府軍とによる戊辰戦争の箱館の戦いの舞台となったことで有名です。1868年に土方歳三らが五稜郭を占拠して立て篭もり、榎本武揚を中心に新しく蝦夷協和国として独立を試みましたが、新政府軍に制圧されて敗北し1869年に明け渡されました。
五稜郭タワーから見下ろします 手前が半月堡です
五稜郭への入口の「一の橋」を渡ります
一の橋を渡った先が半月堡です
石垣の天端には石を張り出して武者返しのようになっています
二の橋を渡って稜堡に向かいます
稜堡の石垣です 排水溝のような穴が見えます
稜堡までの濠は幅が広いです
近代的な濠で、芸術的です
箱館奉行所の門を通過します
正面入口に当たる門番所跡です
武田斐三郎氏の碑 頭の良さに肖りたい皆さんが撫でています
箱館奉行所の約3分の1が復元されています
壱之間から四之間までの続き間です 全室で72帖あります
中庭です 太鼓櫓の裏側が見えます
土蔵、板庫などが並びます
土塁の上を歩いてみます
土塁は予想より高低差があって、5mくらいだと思います
裏手の方は石垣が少ないです
空濠です 右が外側の土塁になります
濠と裏門橋です
濠の幅はとても広いです
紅葉が始まっていましたが、未だ早いようです
星形の突出部分の内側です
奉行所の南側広場から五稜郭タワーを望みます