弘 前 城
青 森 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
青森県弘前市大字下白銀町
鷹岡城、高岡城
梯郭式平山城
1611年
津軽為信・信枚
津軽寧親
現存天守・櫓・門、石垣、土塁、堀
国の重要文化財:天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門
・北の郭東門 国の史跡:弘前城跡
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2007年9月23日
築城主の津軽為信はもとは大浦氏といい南部氏の家臣でしたが、戦国末期に南部氏に反旗を翻して津軽地方を手に入れました。
この頃は、岩木山麓の大浦城を拠点としていましたが、その後堀越城に移転しました。関が原の戦いで徳川家康側に付き、その戦果で石高が上がり弘前藩ができました。為信は、予てから軍事的に不利な堀越城から鷹岡(現弘前城)に新城を建てようと計画していて、1603年に築城を開始します。
しかし、翌年に京都で客死したため築城が中断しますが、2代信枚が再開して1611年に完成させました。1627年に落雷で天守が焼失し、長い間天守がありませんでしたが、1810年に9代藩主津軽寧親によって現存の御三階櫓(天守)が建てられました。
弘前城も、1873年の廃城令の対象となりましたが、津軽氏の働きかけで市民公園として保存され、現在では桜の名所として全国的に知られています。
津軽為信公像
追手門から入城
追手門の内側
城内にある植物園(入園有料)への入口
杉の大橋
南内門から二の丸に入る
未申の櫓
二の丸内部から南内門
時太鼓櫓跡
辰巳櫓
二の丸の松の巨木
二の丸の内濠
下乗橋から天守
亀石
本丸からの天守(登城可能)
天守から本丸と遠くに岩木山
本丸
本丸の隅にある戌亥櫓跡
御宝蔵跡
鷹丘橋を渡り振り返る 北の郭へ入る
北の郭に建つ武徳殿
籾蔵跡
子の櫓の礎石
北の郭の全景
二の丸内部から丑寅櫓
三の丸から丑寅櫓
四下御門の跡
広大な四の丸
四の丸から北門(亀甲門)
外部から北門
三の丸に建つ与力番所
三の丸から天守
外部から東内門
中濠を渡る
中濠に架かる東内門外橋(石橋)
東門から城外へ
外濠の貯水のための堰
一葉橋