盛 岡 城

岩 手 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


岩手県盛岡市内丸

連郭式平山城
1598年
南部信直
南部重直
石垣、土塁、堀、移築土蔵・門
国の史跡

2009年6月27日

盛岡城は、盛岡市内の北上川と中津川の合流地の丘陵に南部信直(三戸南部氏)によって築城されました。
南部氏の支族は多数あって武田氏、小笠原氏、佐竹氏などとともに源義光の子孫(甲斐源氏)だそうです。中でも青森県三戸郡に居城を構えていたのが三戸南部氏で、豊臣政権時代に所領が南に拡大し支配することが不便になったため移転を決め、移転先に選んだのが南部氏の家臣福士氏の「不来方(こずかた)」でした。
信直の命で嫡男南部利直が総指揮に当たり1593年に着工しましたが、1599年に信直が没したため、工事は中断します。利直は1600年の関が原の戦いで徳川家康側に付いたため、本領を安堵され築城の再開を許可されます。
利直は不来方を「盛り上がり栄える岡」になるようにとの願いを込めて盛岡と改称します。盛岡城が完成するのは利直の後継者三男の南部重直の代の1633年でした。

二の丸西側石垣前の石碑

盛岡城跡

本丸南西部の石垣

本丸

本丸と二の丸を繋ぐ廊下橋

二の丸

本丸と二の丸の間にある空堀 橋が見えます

二の丸の向こうに廊下橋が見えます

三の丸

烏帽子岩

広い台所

本丸南側の石垣

腰曲輪

毘沙門渕

桜山神社

桜山神社の烏帽子岩

【烏帽子岩(兜岩)のいわれ】


盛岡城築城時、この地を掘り下げたときに、大きさ二丈ばかり突出した大石が出てきました。
この場所が、境内の祖神さまの神域にあったため、宝大石とされ、以後吉兆のシンボルとして広く信仰され災害や疫病があった時など、この岩の前で、平安祈願の神事が行われ、南部藩盛岡の「お守り岩」として今日まで崇拝されています。
【桜山神社社務所】