多 賀 城

富 山 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


宮城県多賀城市川字城前

鎮守府・国府
724年(神亀元年)
大野東人(オオノノアズマヒト)
藤原恵美朝狩
礎石、塀
国の特別史跡、日本三大史跡

2009年9月13日

多賀城は、奈良時代に東北地方の原住民(蝦夷)を制圧する目的で松島丘陵に築城され、鎮守府と陸奥国府の二つの機能をもつ城です。
約900m四方の大垣で囲まれ、東、西と南に門を設け、ほぼ中央に政庁を建てました。
政庁から南方向には南門を抜けて幅約25mの南北大路が走り、城外にはこれと直交する東西大路や小路を設け碁盤の目のように道路網を整備し街並みが形成されました。
802年に坂上田村麻呂が蝦夷討伐で北進するにつれて鎮守府が現在の岩手県奥州市へ移されてその機能を失い、869年の陸奥国の大地震で大きな被害を受け、1097年には陸奥国府が焼失します。
その後、前九年の役や後三年の役には軍事拠点として利用されたり、建武の新政の地方統治機関として陸奥将軍府が置かれたりしました。

多賀城南門跡

土塁

多賀城碑

多賀城覆屋

ボランティアガイドの方が解説してくださる

多賀城への入口

南北大路

西翼廊跡

築地跡

石敷広場跡

政庁正殿跡

政庁正殿跡

作貫地区遺跡

掘立柱式の建物跡

外郭東門跡

東門跡

外郭東門跡

役所群の北門

役所跡

六月坂地区

多賀神社

多賀城神社

多賀神社

特別史跡多賀城廃寺跡

講堂跡

金堂跡

金堂跡

塔跡

塔跡の芯柱礎石

金堂跡

中門跡

西倉跡

僧房跡

東倉跡

鐘楼跡