仙 台 城

宮 城 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


宮城県仙台市青葉区
青葉城、五城楼
連郭式平山城
1601年
伊達政宗
伊達忠宗
石垣、土塁、堀
国の特別史跡
脇櫓
2010年7月4日

杜の都仙台の青葉山にあるのが仙台城です。仙台城は、伊達政宗が築城してから廃城令までの約270年間、伊達氏代々の居城となりました。
伊達氏が築城する以前は、鎌倉時代末期から室町時代中期にかけては島津氏が陸奥守として居城した千体城(後の千代城)があり、室町時代末期には伊達政宗の叔父である国分盛重が居城しましたが、政宗と対立するところになって盛重は行方をくらまし、千代城は廃城となります。
関が原の戦いの後、徳川家康の天下になると政宗は、家康の許可を得て、千代に居城を移すことにし、本丸と西ノ丸からなる山城の築城を開始し、地名を仙台と改称します。当初から天守台はありましたが天守は建てませんでした。

大橋から青葉山

戦乱が収まり泰平の世になると、山城では何かと不便であったため、1637年に広瀬川の内側に二ノ丸を造営し、伊達家の当主はここに居住し、政務も二ノ丸で行われるようになりました。これと前後して、大手門脇の青葉山の山麓に三ノ丸が作られ、平山城となっていきます。
仙台城は、火災や地震による被害で再建されることはありましたが、江戸時代を通じて戦場になることはなかったので、創建から一度も攻撃を受けることがなく保存されてきました。
明治時代に東北鎮台の本営となり、このとき本丸は破壊され、跡地に招魂社(現宮城県護国神社)が建てられました。1920年には、中門が取り壊されます。
1931年に大手門と脇櫓が国宝に指定されましたが、太平洋戦争の仙台空襲で焼失してしまいます。戦後、唯一残っていた三ノ丸の巽門もアメリカ陸軍の進駐時に破却され、江戸期に建てられた建築遺構は全て失われてしまいました。

広瀬川

水沢・伊達家跡

五色沼

ヒツジグサ

ヒツジグサ

三の丸・堀跡

大手門の石垣と土塀

大手門の脇櫓

大手門の脇

仙台城内唯一の遺構の土塀

現存当時の大手門の写真

大手門の脇櫓

子ノ門跡

三の丸の東側土塁跡

伊達政宗騎馬像の残骸

巽門跡

沢門付近の石垣

沢門跡

本丸北側の石垣(再現)

本丸北側の石垣(再現)

詰門跡

本丸へ

大広間跡

本丸から再現石垣

本丸標柱

伊達政宗騎馬像

土井晩翠像

ボランティア案内人・石垣モデル前

青葉城資料館・護国神社(本丸)