若 松 城
福 島 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
福島県会津若松市追手町1-1
鶴ケ城、会津若松城、黒川城
梯郭式平山城
1384年
蘆名直盛
蒲生氏郷、加藤明成
石垣、土塁、堀
国の史跡
天守、門、櫓、長屋
2004年7月31日
会津若松城の前身は、葦名直盛の館である東黒川館が建っていた黒川城です。伊達政宗が黒川城を攻めて奪い取りましたが、豊臣秀吉に召し上げられます。
代わって黒川城には蒲生氏郷が入り、城下町の整備や天守の築造を進め、鶴ヶ城に改称します。蒲生秀行の代に家中騒動のために移封され、代わって上杉景勝が入ります。関が原の戦いで西軍に加担した景勝は、徳川家康に石高を下げられて米沢に移封され、蒲生秀行が再び入城しましたが、秀行の嫡男忠郷には後継がなく没したため移封されました。
代わって伊予松山から加藤嘉明が入り、子の加藤明成が西出丸、北出丸などを築造し、天守も層塔型に改修しました。加藤明成が改易されると代わりに保科正之が入封し、明治維新まで保科氏(後の会津松平氏)の居城となりました。
現存する天守は、1965年に鉄筋コンクリート造で外観が復元され、内部は郷土博物館になっています。