水 戸 城

茨 城 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


茨城県水戸市三の丸
馬場城、水府城
連郭式平山城
1190年-1198年(建久年間)
馬場資幹
佐竹義宣、徳川頼房
薬医門1棟・藩校、土塁、空堀
茨城県史跡、国の特別史跡(藩校)
大手門、二の丸隅櫓
2023年6月28日

水戸城は、北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城です。大規模な土塁とともに、城の西側の台地には五重の堀、東の低地には三重の堀を巡らせ、堅固な防衛線を築いていました。
元は平安時代末から鎌倉時代初期に馬場氏の手により建てられた館に由来し、後に江戸氏、そして佐竹氏の手を経て、1609(慶長14)年、徳川頼房公が水戸に封じられるとともに水戸徳川家の居城となります。
頼房公は三の丸や外堀の整備拡張を行い、二の丸に御殿を造営、併せて三階物見と呼ばれる櫓を建設しましたが、1764(明和元)年の火災で焼失、後に再建されたものの、1945(昭和20)年に戦災で焼失してしまいました。
現在では、土塁や堀、三の丸に作られた藩校弘道館や薬医門などが残り、かつての姿を偲ぶことができるほか、史料に基づき復元された大手門と二の丸角櫓、歴史的モニュメントとして設置された杉山門や柵町坂下門など、かつての城の雰囲気が感じられるように努力しているようです。

水戸駅前には黄門さま、助さん、格さんが出迎えてくれます

徳川家康公をご祭神とする水戸東照宮を見学します

常葉山時鐘

菅原道真公の天満宮です

安神車と呼ばれる戦車です

1651(慶安3)年に頼房公から奉納された銅造灯篭

水戸東照宮の拝殿です

参拝します

水戸市マスコットキャラクター「みとちゃん」

銀杏坂のオオイチョウ

武館跡(現三の丸小学校)への入口にある冠木門

水戸藩の侍医で弘道館の医学館教授であった本間玄調氏の像

大規模な空堀と土塁です

水戸市低区配水塔(昭和7年設置)

調練場跡に建つ茨城県三の丸庁舎(旧県庁舎・昭和5年設置)

弘道館で学ぶ学生に時を告げる学生警鐘

孔子が祀られている孔子廟の門

鹿島神宮(タケミカヅチの神)から分祀された弘道館鹿島神社

徳川斉昭ら自筆の和歌が刻まれた要石歌碑

教職や役人だけが通行を許された北柵御門(再建)

重要文化財である弘道館正門

仁孝天皇が斉昭の正室、登美宮吉子へ贈った左近の桜(3代目)

正庁(重要文化財)内を見学します

正庁玄関に架けられた「弘道館」扁額

正庁正席の間に掛かる弘道館記碑拓本

入側

斉昭が書いた「游於藝」(芸に遊ぶ)扁額

正席の間などは葵の紋が入った畳縁

1坪もある便所(復元)

湯殿に湯舟はありません

葵の紋が刻まれた釘隠し金物

至善堂御座の間(藩主の御座所)に掛けられた「要石歌碑拓本」

番人が詰める番所

大手橋を渡ります

大手橋の下は県道232号線となった堀跡

再建された大手門 立派です

お洒落な練塀(瓦塀)

当時の瓦塀も残っていました

二の丸に入りました

二の丸隅櫓への入口です

両脇を塀で囲まれた専用通路を延々とあるきました

再建された二の丸隅櫓です 内覧ができます

水戸城跡の大シイの樹

見晴台への入口

見晴台からの展望 那珂川が見え城が高台にあることがわかります

杉山門のモニュメント

杉山坂は二の丸曲輪に通じる重要な通路でした

本城橋の下は水郡線の線路で、深い堀と土塁の遺構です

水戸城で唯一現存する薬医門 本丸の橘詰御門(表門)と考えられています

薬医門は現在、水戸第一高等学校構内に移築されています

化粧垂木の反り増しの技法などから1591~1602年頃の創建と考えられます

菊の紋のような釘隠し金物が使われていました

再生整備された柵町坂下門

棚町坂のお地蔵様

現在の二の丸は民家が建ち並んでいます

水戸光圀公の生誕の地

二の丸隅櫓を街中から見上げます

水戸駅から特急「ときわ号」で帰宅の途につきました

近くて遠い水戸城を廻ってきました。
多くの城跡を廻って感じるのと同様に、明治維新の廃城令によって、貴重な遺構が取り壊されてしまったことによる寂寥感に苛まれます。
明治政府が、要塞として機能しうる城の存在を恐れたことは想像できますが、もう少し他の手段があったのではないかと思うと、とても残念です。
水戸城跡の大部分に公共施設が建ち並び、僅かに遺構が残ってはいますが、城跡の趣はまったく感じられませんでした。
時の権力者の暴挙を強く感じた城跡でした。