箕 輪 城

群 馬 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


群馬県高崎市箕郷町西明屋

梯郭式平山城
1512年(永正9年)
長野業尚
武田氏、北条氏、井伊直政
石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸
国の史跡
御前曲輪の井戸
2009年10月24日

箕輪城は、長野業尚が築城し、その後「憲業」「業政」「業盛」の4代にわたり長野氏が拠点としていました。業政の代に西上野の諸将と婚姻関係を結び勢力を広げ全盛期を迎えます。
永禄年間に西上野は、甲斐の武田、相模の北条、越後の上杉の三つ巴の戦いになり、長野方の要所である国峰城(甘楽町)、安中城(安中市)、松井田城(安中市)、倉賀野城(高崎市)などが武田信玄によって落城してしまいます。その後は頑張っていた箕輪城も、永禄9年(1556)に落城し、城主も変わることになります。武田氏時代は内藤昌秀(昌豊)など、織田氏時代は滝川一益、北条氏時代は北条氏邦などが城主となっています。そして最後の徳川氏時代は、井伊直政が12万石を拝領して城主になり、西上野で最大の拠点となりました。

箕輪城の石碑

搦手口

二の丸

二の丸の東屋

本丸に向かう

馬出し跡

土塁と石積み

本丸(箕輪城まつりの前日)

西虎口跡(蔵屋敷への橋跡)

御前曲輪(二の丸の一部)

御前曲輪の井戸(再現)

稲荷曲輪(正面の高台)

稲荷曲輪(右)と空堀

丸馬出

西虎口

大堀切

三の丸

三の丸の出口

三の丸の入口

三の丸の石垣

大堀切(よく見えない)

大堀切の土橋

郭馬出

郭馬出の虎口(出入り口)

搦手口から二の丸を見上げる