足利氏館
栃 木 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
遺 構
関 連 施 設
指定文化財
訪 問 日
栃木県足利市家富町
鑁阿寺(ばんなじ)
平城
平安時代末期~鎌倉時代初期
源義国(八幡太郎源義家の子)
足利義兼
土塁、堀
鑁阿寺、足利学校
国の史跡・重要文化財:鑁阿寺の建造物3棟、県・市指定:多数
2018年5月2日
館をつくった足利氏は鎌倉幕府の有力御家人で、尊氏のときに室町幕府を開きました。足利氏館の創築者には諸説ありますが、足利氏二代目吉兼説が有力です。
水堀と土塁に囲まれた方形の館跡は、鎌倉時代の地方武士の館の姿を今に伝える貴重な遺構です。建久七年(1196年)義兼が館内に持仏堂をつくりました。これが鑁阿寺という足利氏一門の氏寺となり、現在に至っています。
鑁阿寺は、真言宗大日派の本山で、真言宗大覚寺派の我家としては、何か縁があるような感覚になりました。
参道には歴史を感じる建造物が多数残されていました
征夷大将軍足利尊氏公の像
楼門(県指定文化財)足利義輝の再建
両側の仁王像は室町時代の作です
楼門を内側から
多宝塔(県指定文化財) 現存する建物は1692年の再建
本堂(国宝)
本堂でお参り
中御堂(不動明王坐像)
大銀杏(天然記念物)樹齢約650年、幹回り約10m
一切経堂(国指定重要文化財)
現存する建物は1407年の再建
北門(藥医門)
堀と土塁
東門
太鼓橋が見えます
相田みつを氏が好んだ「めん割烹なか川」さん
◆足利学校(日本最古の学校)◆
足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(学長)制度を設けるなどして学校を再興した頃からです。
鎌倉建長寺住持の、玉隠永璵(えいよ)は、長享元(1487)年の詩文の中で「足利の学校には諸圀から学徒が集り学問に励みそれに感化されて、野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利はまことに風雅の一都会である」と賛美しています。また天文18(1549)年にはフランシスコザンビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、「学徒三千」といわれるほどにんりました。江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に幕をおろしましたが、足利学校の精神は現在に引き継がれています。
昭和57年より「史跡足利学校跡保存整備事業」を実施し、平成2年江戸中期の姿に甦りました。
私たち夫婦も、一時入学を果たしました
日本最古の学校 史跡「足利学校」の入徳門
孔子像
学校門
旧遺蹟図書館 現在に引き継がれています
杏檀門
孔子廟
方丈:学生の講義や学習、学校行事に使われました
南庭:方丈の南側にある築山泉水庭
方丈と書院・庫裡:庠主(校長)の書斎、台所などがあります
孔子などの像が脇玄関に飾られていました
方丈の内部です
北庭園:方丈北側の築山泉水庭です
衆寮:学生寮です
木小屋:薪や農具などの保管場所です
土蔵:書籍以外で大切なものを納めていました
堀に囲まれた足利学校の全景です