新田金山城

群 馬 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


群馬県太田市 金山町
金山城、太田金山城
連格式山城
1469年(文明元年)
岩松家純
後北条氏
石垣、土塁、堀、馬出し、井戸
国の史跡

2018年5月2日

金山城は、文明元(1469)年に新田一族の岩松家純によって築城され、下克上によって城主となった由良氏の時代に全盛を迎えます。上杉謙信や武田勝頼などの有力戦国大名から10数回に及ぶ攻撃を受けますが、金山城は一度も落城することなく、その堅固さを誇りました。
しかし、小田原北条氏の謀略に落ちて支配下となっていた天正18(1590)年、豊臣秀吉の北条氏征伐により金山城は廃城となりました。

総合案内板の前から登城します

金山城跡ガイダンス施設方面から登ってくる方もいました

見附出丸:西側を守る最前線でした

右へ曲がると西矢倉台堀切です

西矢倉台堀切を進むと桟橋があったと思われます

桟橋を進むとここへ出てきます

更に進むと西矢倉台堀切に出会います

西矢倉台への本来の道はここへ通じていました

物見台下虎口の石積みは、前方の視界を遮ています

物見台下堀切です 右の崖上が物見台です

通路は石敷きです

竪堀:脇に階段があり、堀底には通路がありました

木橋で竪堀を渡ります

木橋を渡りきると建物跡がありました

馬場下通路:通路の先を行き止まりにして敵を惑わせます

物見台:物見矢倉と思われる4本の穴が発見されています

物見台からの展望です

物見台から大手口馬場を俯瞰します

馬場曲輪:大手虎口を守る兵の待機場所です

馬場下曲輪:地鎮やまじないが行われていた形跡があります

竪堀の下部から木橋を見上げます

未だ発掘調査が続けられています

大堀切:実城の手前にある金山城最大の堀切です

月の池:城の中心部への入口にあります

大手虎口:門の礎石と思われる石がありました

大手虎口北下段曲輪の全景です

石積みが曲線を描いています

石敷き遺構展示施設:武器庫兼兵の詰所と思われます

南曲輪への虎口です

日ノ池:戦いでの勝利や雨乞いの儀式をした神聖な池です

御台所曲輪の藤棚です 既に花期は過ぎています

御台所の標柱です

金山の大ケヤキ

三ノ丸には、民家が建っていました

新田神社が建つ本丸です

本丸跡の石柱です

昭和天皇をはじめ天皇家の方々が腰かけた石です