鉢 形 城

埼 玉 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2

連郭式平山城
1476年
長尾景春
田丸直昌、森忠政
土塁、堀
国の史跡
三の曲輪の石垣、四脚門など
2009年10月24日

鉢形城は、荒川と深沢川とに挟まれたような地勢を生かして造られた自然の要塞です。関東地方では希少な完全な状態で残った戦国時代の城郭です。現在は、鉢形公園として整備され、寄居町によって保存されています。
山内上杉氏の家宰であり、同家の実権を握っていた長尾景信が足利成氏との戦闘中に没し、その家督相続を廻って長尾家で内紛が起こり、家督を継げなかった嫡男の長尾景春が鉢形城を築城しました。景春は敵方であった足利成氏側について裏切り行為をしたため、扇谷上杉氏の太田道灌に攻められ、長い戦いの末落城しました。上杉顕定の入城後も、扇谷上杉家の上杉定正が攻め込むなど、上杉家内の紛争の場にもなり、その後の足利氏との戦いなど長年にわたり、城の争奪が繰り返されてきたようです。

荒川の崖の上が本曲輪

鉢形城跡の入口

笹曲輪

鉢形城の模型

石垣

本曲輪への入口

本曲輪から荒川・寄居町を見下ろす

本曲輪

本曲輪の標柱

鉢形城歴史館

三の曲輪

三の曲輪の石垣(復原)

四脚門(復原)

三の曲輪 広い!

四阿(復原)

伝秩父の曲輪から荒川方面

伝秩父の曲輪の池(復原)

井戸(復原)

二の曲輪

二の曲輪横の稲荷神社の参道

城山稲荷神社

稲荷神社から三の曲輪へ

石垣

土塁

井戸

諏訪神社

大手の堀跡

【鉢形城の主な歴代城主】
長尾景春=築城主
上杉顕定(山内上杉家)=景春から争奪
上杉顕実(顕定の養子)=家督相続
上杉憲房(顕定の養子)=顕実から争奪
上杉憲寛(憲房の養子)=家督相続
上杉憲政(憲房の実子)=憲寛を追放
北条氏邦=氏康が上杉憲政から争奪