川 越 城
埼 玉 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
埼玉県川越市
初雁城、霧隠城
平山城
1457年(長禄元年)
太田道真、太田道灌親子
大道寺政繁、松平信綱
堀、土塁、御殿の一部・移築物3棟
県指定史跡、県有形文化財(御殿)
-
2015年6月29日・2024年10月18日
川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したものです。当初の規模は、後の本丸・二の丸を合わせた程度と推定されています。
やがて川越城は、天文6年(1537)後北条氏の占拠するところとなりましたが、同15年(1546)川越城の奪回を図った上杉氏は後北条氏の奇襲に会い、大敗して群馬に逃れ、それ以後、後北条氏の支配が決定的となりました。
川越城を掌中に収めた後北条氏は、周辺の旧上杉氏所領を直轄領に組み込むとともに、城代として譜代の重臣大道寺氏を配置しました。
喜多院 山門と番所
天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家に攻められて落城しました。やがて同年8月徳川家康が一族家臣を従えて関東に移るにおよび、重臣を重要な地に配して領国の安定を図りました。川越には酒井重忠が1万石をもって封じられ、ここに川越藩の基礎が成立しました。
寛永16年(1639)に藩主となった松平信綱は川越城の大幅な拡張・整備を行い、近世城郭の形態を整えることとなりました。即ち本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、四つの櫓、十二の門よりなり、総坪数は堀と土塁を除いて4万6千坪となりました。
その後も明治維新に至るまで、幕府の要職にある大名が置かれた川越城は、平成18年(2006)に財団法人日本城郭協会から「日本100名城」の選定を受けました。また平成19年(2007)には築城550年を迎え、市内各地でイベントが行われました。
喜多院 鐘楼門 川越市重要文化財
喜多院 慈恵堂
喜多院 慈眼堂
喜多院 多宝塔
喜多院 庫裏(客殿入口)
喜多院客殿内 紅葉山庭園
喜多院客殿内 遠州流庭園
喜多院 渡り廊下
喜多院 五百羅漢
日枝神社 元々は喜多院境内にあったが道路工事のため移転した
日枝神社本殿 朱塗り銅板葺 国の重要文化財
川越城田曲輪門跡
富士見櫓跡 天守閣が無かった川越城の実質的な天守
三芳野神社 「とおりゃんせ」に出てくる天神様
神社の横にあった大楠は、根が張りすぎ社殿を持ち上げるようになったため、やむなく伐採されました
切り株からは、新しい芽が出ていました
川越城本丸御殿 休館のため内部はお預けとなりました
川越城本丸御殿の北側から
氷川神社 約1500年前の創建といわれ、縁結びの神として勇名です
戌岩 岩が犬の鼻のように見えることから名づけられた
氷川神社本殿
八坂神社社殿
江戸城二の丸の東照宮として建立されたものを移築したもの
氷川神社社殿の彫刻 素晴らしい彫り物です
菓子屋横丁
2015年6月21日午後0時10分ごろ、埼玉県川越市元町の和菓子屋「室岡製菓」から出火しているのをパトロール中の埼玉県警川越署員が発見。木造モルタル2階建て店舗と、隣接する菓子店や民家など計5棟が全焼し、さらに6棟の壁などが焼けた。
その後遺症が残る中、26日から営業を再開した。ガンバレ!
埼玉りそな銀行川越支店 ルネサンス様式の洒落た建物です
【時の鐘】
江戸時代の寛永年間(1624~1644)に、川越藩主:酒井忠勝によって建てられました。現存の鐘楼は、明治時代の川越大火の直後に再建されたものです。
約390年もの間、時を刻み、今は1日4回(6時、正午、15時、18時)、由緒ある音色を聞くことができます。
本丸御殿内部を見学するために2024年10月18日(金)に再来しました
2015年6月に川越城を訪れた際に、川越城本丸御殿は休館日のため内部を見学することができませんでした。近いうちに来ようと妻とも話していたのですが、早や9年の歳月が経ぎてしまっていました。
他の城郭の見学予定や、年齢を考えると川越城へ来るのは最後だと思い、出来るだけ街中を歩いてみることにしました。前回来た時に見学した「時の鐘」や蔵の街並みなどは省略し、観光客が立ち寄らない神社などへも訪れてみました。最後に期待をしていた本丸御殿は、御殿のほんの一部分だけであることを知り、少しガッカリしましたが、残していた宿題を済ますことができてスッキリもしました。
明日からの川越まつりのために街中が準備に追われているようでした。博物館前から乗車した小江戸循環バスの運転手さんの観光案内はとても素晴らしく、心に残るものがありました。
川越城本丸御殿の周辺はすっかり整備されていました
川越駅から本丸御殿への道中立ち寄った川越八幡宮です
参拝客を二人ほど見かけました
喜多院へ再び訪れました
天海大僧正の像と左は白山権現です
前回訪れなかった仙波東照宮の随身門です
この東照宮は徳川家康の遺骨を久能山から日光に移葬した際、喜多院に4日間逗留して供養したので、天海僧正がこの地に創建しました 日光、久能山とともに三大東照宮といわれています
石鳥居をくぐります
石段を上ります
拝殿です
仙波東照宮本殿です
歴代の川越城主が献備した石灯籠です
喜多院内には小江戸川越七福神の大黒天が祀られています
喜多院太子堂と木遣塚です
成田山川越別院山門です
成田山川越別院(旧本行院)です
大師堂です 四国八十八か所巡りができます
市野屋豆腐店は現役です
浮島稲荷神社は通過しました
いよいよ川越城本丸御殿の内部を見学します
広間です 襖絵が素敵でした
幅1間半ある広い廊下です
物頭詰所です
中庭の奥に見えるのが家老詰所です
家老詰所内部です
家老詰所前の庭です
川越城本丸御殿の全体は上図のように広大なものであったそうです。
現存する建物は、赤線で囲まれた範囲であり、御殿のごく一部となります。
また、「家老詰所」は上の赤枠部分であり、現存する位置とは異なっていることがわかります。(川越城本丸御殿リーフレットより)