八王子城

東 京 都


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


東京都八王子市元八王子町
なし
山城
1587年頃
北条氏照
なし
石垣、曲輪、御主殿跡
国の史跡:熊本城跡
石垣、虎口、引き橋
2011年9月23日

八王子城は、中央線高尾駅西方の深沢山(現城山・標高445m)に山の地形を生かした天然の要害として築造された、戦国時代末期の典型的な山城です。
北条氏の本城である小田原城の支城で、関東の西からの攻撃を守るための拠点として位置付けられていました。
1590年に豊臣秀吉が天下統一をするべく上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの連合軍約1万5千の兵で八王子城を攻めたとき、八王子城主の北条氏照らは小田原城に出向いており、八王子城内には農民や婦女子を主とした千人程度しか居らず、多勢に無勢で僅か1日で落城してしまいます。

宗関寺

この八王子城の合戦を含む、小田原の役で北条氏は敗北し消滅してしまいます。 落城後、新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となり、明治時代以降も国有林であったため、落城当時のまま保存されることになりました。
発掘調査の結果、礎石をたくさん使った建物の跡や水路の跡、多数の遺物が出土しました。

宗関寺鐘楼 銅造の梵鐘は八王子市指定文化財

北条氏照及び家臣の墓への道

八王子城跡管理棟

八王子城跡の標柱

大手門跡

御主殿への旧道(橋のある道)

曳橋(再建)

虎口(復元)

櫓門跡の礎石と石組の側溝

冠木門(イメージ復元)

御主殿跡から曳橋を俯瞰する

御主殿跡

落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将の自刃で三日三晩赤く染まったといわれる御主殿の滝

曳橋を下部から見上げる

あしだ曲輪

あしだ曲輪の社

城山への登山口

金子丸(金子三郎右衛門家重が守っていた曲輪)

坂を登る(ほぼ登山の感覚)

八合目 旧道との合流点

高丸

山頂間近(筑波山が望める)

東京新都心方面の眺望(スカイツリーも見える)

八王子神社の社

天狗の像

本丸跡(山頂)

松木曲輪(中山勘解由家範が守備していた曲輪)