小田原城
神 奈 川 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
神奈川県小田原市城内6-1
小峰城、小早川城
平山城
1417年(応永24年)
大森頼春
上杉氏、北条早雲、大久保忠世、
稲葉正勝
石垣、土塁、堀
国の史跡
天守、門
2009年5月23日・2021年4月20日
小田原短期大学図書館付近から小田原城を遠望します
平安時代の末期に土肥氏の一族、小早川遠平(小早川氏の祖)の居館でしたが、土肥氏の失脚により駿河国の大森氏に奪われます。
1495年に伊豆国の伊勢盛時(北条早雲)が大森藤頼から奪います。以後5代に亘って北条氏の居城となり、南関東の政治の中心地となります。
1561年に上杉謙信に襲われますが撃退します。
1569年に武田信玄に包囲されますが、落城はしません。
1590年に天下統一のために豊臣秀吉が宇都宮国綱や佐竹義重らと総攻撃して落城します。戦後、徳川家康に与えられましたが、江戸城を居城としましたので、腹心の大久保忠世が入城しました。城は周囲9kmに及ぶ規模であったため、大久保氏の代に縮小されます。その後、阿部氏、稲葉氏が入封した時期もありましたが、1871年の廃城までほぼ大久保氏の居城となりました。
現在の天守は、1960年にRC造で外観が復元されていますが、最上階の高覧は本来の姿には無く、行政からの要望で付けられたものです。
小田原城北口入口から入城します
突き当りが天守台最下段の石垣です 左へ行きます
そこはもう本丸です
復興天守閣です
登城口ですが今日は天守閣には登りません
推定400年超える本丸の松の巨木です
この巨松の主幹は少し東に傾いていますが、今もクロマツ特有の優美な姿を保ち、小田原市天然記念物に指定されています
常盤木門を出ます
赤い欄干の常盤木橋を渡りました
常盤木坂を下ると小田原市天然記念物のイヌマキがあります
銅門広場の先には銅門が見えます
銅門を潜ります
住吉橋を渡り馬出曲輪に出ます
馬出門からは天守閣が望めます(中央屋根部分だけ)
堀に沿って歩くと天守閣が見えました
堀の対岸には二の丸隅櫓があります
学橋を渡り二の丸広場に入ります
二の丸と堀の間には土塀が設置されています
二の丸跡は現在菖蒲園になっています
二の丸から弁財天曲輪を経て帰途につきました
2021年4月20日(火)の訪問です
小田原城弁財天曲輪跡にある碑です
弁財天曲輪跡です
お堀端通りの内堀です
朱塗りの学橋です
堀沿いを歩きます
堀の向こうには馬出が見えます
二の丸隅櫓です
馬出土橋を渡り馬出門へ向かいます
馬出門前広場と馬出門です
馬屋曲輪です
二重櫓跡です
切石敷井戸跡です 大陸より伝えられた六角井戸です
住吉橋へ向かいます
住吉橋を渡り銅門枡形内仕切門を潜ります
銅門枡形内から見る銅門です
立派な銅門です
銅門広場に植えられた天然記念物のビャクシンです
馬出し曲輪跡にある藤棚です
南曲輪と南堀(蓮池)です
南堀(蓮池)には白鷺が捕食中でした
報徳二宮神社へ立ち寄ります
報徳二宮神社の境内です
報徳二宮神社のご祭神は二宮尊徳翁です
小峯曲輪北堀です 僅かに水があります
本丸の石垣は関東大震災で大規模に崩落しました
所により石垣が残っています
多くの石垣が手付かずのまま放置されています
小田原市指定天然記念物のイヌマキの巨木です
常盤木門を見上げます
赤い欄干の常盤木橋を渡っていきます
常盤木橋の下は本丸東堀跡です 菖蒲園になっています
大きく堅固に造られた常盤木門です
常盤木門の桝形です
常盤木門を通り抜けて振り返ります
本丸です
天守閣は、昭和35(1960)年に小田原市政20周年記念事業として復興されました
天守閣からの眺望です 八幡山古郭東曲輪跡が見えます
小田原駅方面です
三浦半島方面です
相模湾と真鶴半島も見えます
箱根の二子山、駒ケ岳、神山も見えます
一夜城として有名な石垣山も確認できます
天守台の裏側へ回り込みます
天守台の最下段の石垣です
発掘調査中の御用米曲輪です
小田原城北入口から帰途につきます