松 代 城

長 野 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


長野県長野市松代町松代
海津城・貝津城
輪郭式平城
1560年(永禄3年)
武田信玄
田丸直昌、森忠政
石垣、土塁、堀
国の史跡
太鼓門、堀、石垣、土塁など
2014年6月21日

武田信玄と上杉謙信が信濃の覇権を競った川中島合戦で、武田側の拠点として築城されたといわれています。千曲川の流れを外堀とする天然の要塞で、当時は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれました。
江戸時代、真田氏が松代藩主になると、松代城を中心に真田10万石の城下町が発展しました。明治の廃城にともない建物が壊されたため、長い間石垣を残すのみでしたが、1981(平成16)年に櫓門、木橋、石垣、土塁、堀などが復元されました。

二の丸石場門跡

二の丸の東側

内堀

二の丸南門跡

左の草地が外堀跡

太鼓門前橋と太鼓門

二の丸の西側

内堀

内堀に架かる太鼓門前橋

二の丸の北側 右に天守台

二の丸の井戸跡と北不明門

北不明門

新堀

二の丸引き橋

内堀の東側 東不明門前橋が見えました

東不明門前橋

内堀を一周して太鼓門前橋から本丸へ入ります

二層の櫓門(太鼓門) 石垣の石も大きい

太鼓門の枡形内部

本丸内部から太鼓門

本丸跡

天守台

天守跡

北不明門

北不明門と枡形

旧長野電鉄松代駅

鉄道敷跡(三の丸跡)

三の丸跡

重要文化財の小山田邸の門

川中島古戦場にある八幡社鞘堂(旧社殿)

現神殿

武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの像

執念の石

武田軍の原大隅が謙信を逃し悔しさ余りに槍で明けた穴