松 本 城

長 野 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日



長野県松本市丸の内4-1
烏城(からすじょう)
平城
1504年(永正元年)
小笠原長棟、石川数正・康長父子
松平直政
天守、石垣、土塁、堀、土蔵
国宝:天守 国の史跡
黒門、太鼓門
1997年8月17日・2010年8月14日
・2017年10月3日

信濃国守護の小笠原氏が支城の一つとして築城した深志城が前身といわれています。武田晴信が、小笠原長時を滅ぼし深志城を拠点に松本平を支配します。武田氏が滅亡した後に、徳川家康の家臣であった小笠原貞慶が元の領地を与えられ松本城と改称しました。
1590年の小田原征伐の結果、徳川家が江戸に移封されるとともに松本城主の小笠原秀政も古河に移りました。代わりに石川数正が入り、その子の石川康長が、天守、城郭や城下町の整備を進めました。
1613年に起きた大久保長安事件で石川康長が改易となり、小笠原秀政が戻ります。大阪の陣以降に、松平康長や水野家など松本藩の居城となりました。1727年に本丸御殿が焼失しますが、再建されず二の丸で代用しました。
明治維新後に天守が競売に掛けられて、解体の危機に直面しますが、地元の名士市川量造氏たちの努力により保存されることになりました。

千歳橋(大手門跡) 現在は面影もない

大名町大手門井戸

西堀公園の井戸

松本神社の井戸

黒門

内堀

太鼓門(内から)

太鼓門(外から)

二の丸御殿入口の門

二の丸御殿跡

二の丸御殿の隅櫓跡

北門の橋

内堀

本丸から葵馬場への虎口

北不明門辺りから

二の丸から

二の丸西側から

二の丸南西側から

二の丸南側から

黒門

黒門

本丸から

左から月見櫓、辰巳附櫓、天守

乾小天守

月見櫓

─── 2017年10月2日~3日 ───

神道祭(四柱神社例大祭)の舞台奉曳展示です

四柱神社の境内には露店が並びます

四柱神社の本殿です

食事した「しづか」の前にて

夜の松本城は入城無料でした

ライトアップされた松本城

月見櫓では雅楽の演奏がありました

ホテルの屋上から見た松本城です

大手門跡の升形です

二之丸へ入ります

内堀を挟んで天守閣です

天守閣が堀に写りこんでいます

埋橋は通行禁止になっていました

史跡の石柱がありました

外堀です

外堀を挟んで天守です

外堀です

二之丸裏御門橋です

太鼓門

黒門から本丸へ入ります

本丸と天守群です

天守の内部です

乾小天守は耐震問題で入場制限となっています

急な階段を上っていきます

石落としです

鉄砲蔵

大天守から乾小天守を覗きます

最後の階段を上ります

大天守の最上階です

二十六夜神と桔木構造

国宝認定書です

天守から

天守から

天守から

天守から乾小天守

昨晩、雅楽を演奏していた月見櫓です

本丸からの天守群です

裏門は通行不可です

博物館内に展示してあった消防車です

松本市役所展望室からの松本城です