高 遠 城
長 野 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
長野県伊那市高遠町東高遠城跡
兜山城
半輪郭式平山城
不明
不明
武田信玄
石垣、土塁、空堀、門
国の史跡
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2009年4月11日
高遠地方は、室町時代から高遠氏の領地でしたが、1545年に武田信玄によって侵略されました。信玄は、駿河、遠江、三河方面への進出拠点として現在の地に築城したようです。
高遠城は、藤沢川と三峰川が合流する丘の上にあり、四方を断崖に囲まれた天然の要塞です。唯一、東側に弱点はありますが、信玄が好んだ半輪格式という縄張りの城です。
信玄を継いだ勝頼は、織田信長・徳川家康連合軍との長篠の戦いで大敗し、異母弟の五男、仁科盛信に高遠城を託しましたが、織田勢5万に攻められ善戦虚しく落城し、武田家は滅亡します。
信長は高遠城攻めの功労者毛利長秀を高遠城主にしますが、その3ヶ月後に本能寺の変が起こり、高遠城は武田家の旧家臣・木曾義昌に攻められ占領されます。その後、徳川家康によって攻められた義昌は、高遠城を明け渡します。
江戸時代になり、京極氏、保科氏、鳥居氏と城主は交代し、内藤氏の代で明治維新となりました。内藤氏時代で有名な「絵島生島事件」が起き、事件の主役である大奥筆頭大年寄絵島は、死刑を免れて内藤氏に預けられ、27年間を高遠で過ごし生涯を閉じました。この事件は、幕府内部の勢力争いによる冤罪といわれています。
高遠城は、小彼岸桜の名所として有名です。
今回、訪城したのも桜見物のツアーがあったので、それに便乗しました。
遺構の建物などが少ないため、桜見物に公園へ行ったような印象です。
それにしても大勢の見物人で、ごった返していました。
とても埃っぽくマスクが必携のようです。