高 岡 城
富 山 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
富山県高岡市古城
-
梯郭式平城
1609年(慶長14年)
前田利長
不明
石垣、堀
国の史跡
なし
2016年5月21日
加賀藩前田家二代の利長公は、天正13年(1585)から13年間、二上山上にあった守山城の城主でした。慶長3年(1598)に利家公の後を継ぎ藩主となり、同10年(1605)には隠居して富山城に移りました。しかし、同14年(1609)3月の大火により城が焼失したため、当時関野と呼ばれていた地に新しく高島城をつくりました。
縄張りは、キリシタン大名であり、築城の名手として有名な高山右近と伝承されています。入城して5年、利長公は亡くなり、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となりました。しかし、城跡は残り、町民から「古御城(ふるおしろ)」として親しまれてきました。
明治になり、民間に払い下げられ、城跡が消失しそうになりましたが、服部嘉十郎らが公園指定の請願書を提出し、保存運動を展開しました。こうして市民の力により、城跡は高岡古城公園として残り、今に受け継がれています。
大手口です ここから公園がはじまります
高山右近の像
二の丸から本丸へつながる土橋の石垣
南外濠に架かる駐春橋
二の丸跡 現在は市民会館が建っています
土橋の石垣 高岡城で唯一残る遺構です
本丸の一部には射水神社が祀られています
広大な本丸跡です これほどの広い本丸は初めてです
天守台があったと思われる高台
前田利長公の銅像です
西内濠に架かる朝陽橋
中の島と一の橋
中の島と小竹藪との間の道は土塁のようにみえました
小竹藪の広場
三の丸跡には市民体育館が建ち駐車場と化しています
SLも展示されていました 富山城でも見ました
西内濠です
明丸跡は動物園になっています
搦手口です
高島古城公園の特徴のひとつは、中心市街地に約21万m2という広大な面積を持っていることです。
これは、東京ドームの約4.5倍にあたります。
また、3つの水濠に囲まれており、その面積は全体の3分の1を占めます。加賀藩は、城の実質的な保全を図ったため、濠はほとんど築城時のままに残されています。
この公園は、人工的な手が加えられていない自然公園であり、豊かな水をたたえた水濠公園です。春はさくらの名所としてにぎわい、夏は緑豊かな自然を、秋は色鮮やかな紅葉、冬は白銀の静かなたたずまいと、四季折々に人々を楽しませてくれます。