一乗谷朝倉氏遺跡
福 井 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
福井県福井市城戸ノ内町
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山城
1575年(天正3年)
朝倉氏
朝倉氏、桂田長俊
土塁、堀、虎口、石垣、礎石
国の特別史跡:遺跡
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2017年4月13日
朝倉氏は現在の兵庫県養父市八鹿町の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主家の斯波高経に従って越前に入国しました。
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、斯波氏、甲斐氏を追放して越前を平定しました。
以後、孝景、氏景、貞景、孝景、義景と5代103年間にわたって越前の中心として繁栄し、この間、京や奈良の貴族・僧侶などの文化人が下向し、北陸の小京都とも呼ばれました。
義景は、足利義昭を南陽寺に迎え観桜の宴を催しました。
しかし、1573年の刀根坂の戦いで織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼討ちにあい灰燼に帰しました。
武家屋敷跡が連なっています。
町並みが復原されています。
復原された民家です。
復原された幹線道路には、排水路も整備されていました。
重臣の屋敷の門です。
一つ一つの重臣の屋敷はとても広いです。
復原された重臣の屋敷です。
一乗谷川の河岸です。
朝倉義景館跡に復原された西門(唐門)です。
隅櫓跡です。
朝倉義景館を俯瞰します。
義景館跡を見下ろす高台にある湯殿跡庭園です。
義景館の南側の土塁と堀です。
湯殿跡庭園から中の御殿跡へは堀を渡ります。
義景の母高徳院の屋敷といわれる中の御殿跡です。
建物の礎石が残っています。
再び空堀を渡ります。
諏訪館跡庭園です。
諏訪館跡を一乗谷川側に下り振り返ります。