岐 阜 城
岐 阜 県
所 在 地 | 岐阜県岐阜市天主閣18 |
通 称 | 美濃國井之口の山館、稲葉山城、金華山城、井口城 |
城郭の構造 | 山城 |
築 城 年 | 1201年(建仁元年) |
築 城 者 | 二階堂行政 |
主な改修者 | 織田信長 |
遺 構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
指定文化財 | 国指定の史跡 |
再 建 物 | 天守、門 |
訪 問 日 | 2025年4月19日 |
中央最高所にある建造物が天守です
岐阜城は、かつて稲葉山城と称していました。金華山頂に初めて砦を築いたのは、鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられています。戦国時代には、斎藤道三の居城でもあったところです。特に岐阜城の名を天下に示したのは、永禄10(1567)年8月、不世出の英傑織田信長がこの城を攻略し、この地方一帯を平定するとともに、地名も「井口」を「岐阜」と改称し、天下統一の本拠地としてからでした。しかし、慶長5(1600)年8月、関ケ原合戦の前哨戦の際、信長の孫秀信が西軍に味方したため、東軍に攻め込まれ、激戦の末落城しました。翌慶長6年、岐阜城は廃城となり天守閣、櫓等は加納城に移されました。現在の天守は、昭和31年7月、岐阜城再建期成同盟によって復興されたもので、鉄筋コンクリート造り三層四階構造で延べ461.77㎡、胸高7.7mの威容を誇ります。平成23年2月、金華山一帯が「岐阜城跡」として、国の史跡に指定されました。
岐阜城は3年前に一度訪れたのですが、登城する当日の朝、妻が膝蓋骨を骨折したため断念した苦い思い出があります。その後遺症で妻は膝が不自由ですが、登りはロープウェーを利用、下りは頑張って歩いて下りました。階段が多く難儀だったと思います。
岐阜公園の正門です
金華山ロープウェー山麓駅へ向かいます
正門の右側に若かりし時の織田信長の像が立っています
正面の山が金華山です 左の建物は総合案内所兼お土産物店です
金華山ロープウェー山麓駅です ここから乗車します
ロープウェーは標高差約255mを僅か4分で上ってしまいます
ロープウェー山頂駅に着きました
お隣が「リス村」です
いきなりの階段です 今までのお城とは違いました
ここの二俣分岐は右側の方へ行きます
右側の大きな岩の前辺りに一の門があったようです
この辺りは馬場(馬を繋いでおく所)があったようです
左側の堀切(切通)を回り込んで上っていきます
二の門周辺には多様の石垣が残っています
二ノ門の入口に築かれた石垣は大きな石材が用いられています
斎藤道三、織田信長ら戦国武将の諸霊を供養する題目塚が見えます
下台所跡です
金華山焔魔堂です
天守へ向かいます
少し下ったところに井戸跡があります 岩盤を四角形に繰り抜き、雨水を貯めて非常時の貯水施設として利用されていたようです
天守が見えてきました 左側の平は上台所です
算木積みを彷彿とさせる積み方の石垣です
天守内部に入ります 入城料200円ですが70歳以上は無料です
内部の展示物です
最上階の天井です
天守北側の展望です
天守東側の展望です
天守南側の展望です
天守西側の展望です
岐阜城資料館へ向かいます
山頂の大きな岩は迫力があります
瞑想の小径の下山口と金華山御嶽神社です
岐阜城資料館です 展示物は???
井戸跡の横の石垣は立派です
井戸跡です
「にのまるばし」と記されていましたが、本来有ったものなのでしょうか?
二ノ門へ戻ってきました 展望レストランへ向かいます
展望レストランは太鼓櫓跡です
リス村で百曲り登山道と七曲り登山道に分かれ、七曲り登山道を下ります 階段が多く妻には難儀です
岩が露出しているところもあります
「城へ五丁(約500m)」と記された石柱です
岩が露出した沢のようなところもあります
七曲りに入ると歩きやすい山道になりました
七曲り登山口に着きました 大手門跡を探します
大手門はこの辺りにあったようです 何も印が見当たりませんでした 付近の史跡を見て回ります
竹中半兵衛(豊臣秀吉の家臣)の屋敷跡に移転した妙照寺です
梶川堀を境に東側には武家屋敷、西側には町家を配置したようです
斎藤道三の菩提寺の常在寺です
正法寺の大仏を見学します
奈良、鎌倉の大仏と並び、日本三大仏の一つとされています(一方で髙岡大仏との説も)とても優しいお顔をされていました
岐阜公園内で初めて白い藤の花を見ました
岐阜公園に戻りました お疲れさまでした