犬 山 城
愛 知 県
2016年3月の訪問は
ココ
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
愛知県犬山市大字犬山字北古券
白帝城
平山城
1469年
織田広近
織田信康
現存天守、石垣、土塁
国宝:天守
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2010年5月1日
1469年に織田広近がここに砦を築いたのが犬山城の始まりのようです。
1537年に織田信長の叔父である織田信康によって城郭が築造されました。
1544年に信康が斎藤道三との戦いで戦死したため、子の信清が城主になります。その後、織田信長と対立することとなり、その結果、信長に奪われ池田恒興、織田勝長などが城主として入ります。
本能寺の変の後には織田信長の次男・信雄の配下の中川定成が城主となります。
1584年に元城主であり、織田家の家臣であった池田恒興に突如、攻め込まれて奪われ、小牧・長久手の戦いのきっかけとなります。
小牧・長久手の戦い後は再び羽柴秀吉方の織田信雄が入城しますが失脚後は三好吉房らが城主になりました。
本町通り
平成21年に電線の地下化を行うなど城下町の景観を保つ努力がされています。
豊臣時代では石川貞清が城主を勤めたが、関が原の戦いで西軍に属したため、没落することになります。
1601年に小笠原吉次、1607年に平岩親吉が城主となります。親吉が没した後は6年間城主が不在となりましたが、その後尾張藩付家老の成瀬正成が城主となりました。
正成は、天守に唐破風出窓を増築します。以後徳川時代は成瀬氏が城主を務めました。
明治時代に入り廃藩置県で廃城となり、天守を除いて櫓や城門などのほとんどが取り壊されてしまいました。
1891年には濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れてしまい、1895年に城の修復を条件に成瀬正肥に無償譲渡されて管理を任されます。
個人所有となった犬山城ですが、2004年に財団法人犬山城白帝文庫に移管され今日に至っています。
犬山市が保存する文化財「旧磯部邸」
史跡敬道館跡
本町通りから犬山城天守
犬山城入口の石標
登城道
空堀
矢来門跡
松の丸門跡
大杉様
野面積の石垣
北側は木曽川
破風の間
天守最上階
天守から
天守から本丸を見下ろす
国宝指定書
正面入口
本丸
櫓
杉の丸
本丸への石段
桐の丸に建つ針綱神社
松の丸(現駐車場)
三光稲荷神社
【犬山城天守閣の概要】
日本で国宝に指定されている犬山城、彦根城、姫路城、松本城の四つの城のなかで、最古の天守です。戦国時代、廃藩置県や廃城令、地震や戦災などの幾多の存続の危機に会いながらも、持ちこたえてこられた数少ない貴重な遺産であり、後世に残していきたい大切な宝だと思います。
総延面積:698.775平方メートル(地階1、2階出入口を含む)
構造形式:望楼式
外観:三層 高さ19m 内部4階、石垣の中2階付
1階:納戸の間(282.752平方メートル)
2階:武具の間(246.006平方メートル)
3階:破風の間(81.936平方メートル)
4階:高欄の間(49.835平方メートル)
からくり展示館