上 野 城
三 重 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
三重県伊賀市上野丸之内
白鳳城、伊賀上野城
梯郭式平山城
天正13年(1585年)
筒井定次
筒井定次 藤堂高虎
石垣、堀、武具蔵
国史跡、俳聖殿(国の重要文化財)
天守(模擬、木造)
2024年5月19日
天正13(1585)年、伊賀国を領した筒井定次が三層の天守を築き、北に表門を構えました。豊臣秀吉の没後、徳川家康が関ケ原の戦いに勝ち、豊臣政権の後継者としての地位を確立するに及んで、慶長13(1608)年、定次を失政を理由に改易、藤堂高虎が伊賀・伊勢の城主として伊予今治城から移り、自ら縄張りを指図、本丸を30mの高石垣で囲み、筒井古城を大拡張しました。しかし竣工直前の五層天守は、慶長17(1612)年9月2日の暴風雨で倒壊、そのうち大阪夏の陣で豊臣方が滅亡したので城普請は中止され、城代家老が執政することになりました。
現在の天守は、昭和10(1935)年、地元の名士川崎克氏が私財を投じて純木造の復興天守を再建、伊賀文化産業城と称しました。城跡は昭和42(1967)年に国史跡に、天守は昭和60(1985)年に伊賀市の文化財に指定されています。
伊賀上野城の登城口には多くの駐車場が点在しています
小雨が降りしきる中、天守に向かいます
元作事屋には芭蕉翁記念館がありました
本丸へ登って行きます
空堀のような窪地がありました
天守が見えてきました
城代屋敷跡です
台所跡です
台所門跡です
本丸に着きました
本丸から台所跡を見上げます
復興天守は9時開場なので高石垣を上から見学します
高石垣です 近づけない場所もありました
上野高校の校舎(3階建)と比べるとどれほど高いかがわかります
国内第二位の高さ30mあるそうです 足がすくみます
天守と小天守です 高石垣を下から見てみることにします
旧堀のような水たまりがありました
高石垣が見えてきました
目前の石垣は、登ろうとする気を失わせると思います
登城口に戻りました この辺りは石垣ではなく自然の崖です
少し進むと石垣が現れました
本丸大手道を登ります
池がありました
いよいよ天守に入城します
門を潜ります
門の横の石垣です
天守二階から小天守を見下ろします
天守三階から西方面の眺望です
天守三階から南方面の眺望です
天守三階の天井は格天井でした
天守三階から東方面の眺望です
天守三階から北方面の眺望です
天守の再建に私財を投じた川崎克氏の胸像です