松 坂 城

三 重 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


三重県松阪市殿町
松阪城
梯郭式平山城
1588年(天正16年)
蒲生氏郷
古田重勝
天守台、本丸、二の丸、石垣等多数
国指定史跡
石垣修復
2024年5月18日

松坂市役所文化課パンフレットより 拡大は ココ

織田信長亡き後、羽柴(豊臣)秀吉に仕え天正12(1584)年南伊勢12万石の所領を与えられた蒲生氏郷は、四五百森に着目し新しい城造りに着手します。天正16(1588)年、城造りを始めてからわずか三年後、新しい城に本拠を移し、蒲生家に吉祥をもたらす「松」の字と秀吉の本拠地「大坂」の「坂」の字を併せ「松坂」と名づけました。
松坂城は、標高約38mの独立した丘陵(四五百森)に築かれた平山城で、北側を流れる阪内川を防御ラインとした要害の地に立地しています。丘陵を切通しで南北に分断し、中核部である北丘、城の鎮守神を祀る南丘、両丘の周囲の三ノ丸で縄張りが構成されています。
北丘は、本丸を中心として東側に二ノ丸、南側に隠居丸、西側にきたい丸を配し、周囲には堅固な石垣を巡らせています。また、城の周囲には三ノ丸を取り巻く形で土居(土塁)、その外側に堀がありました。
築城当時の石垣は、自然石を利用した穴太衆と呼ばれる石垣専門の職人による「野面積み」で、その石垣ひとつひとつを注意深く観察すると、古墳の石棺など他の石造物の部材も使用されていることがわかります。
松坂城の見どころは、全国でも屈指の壮大な石垣です。日本100名城にも選ばれ「国指定史跡」となっています。

北側の崖には石垣がありません

表門に近づくと石垣が積まれていました

野面積の石垣です

表門から入城します

ここが大手道と考えられます

表門の南側に延びる石垣です

表門(大手門)に入ると左右に分かれます 正面は本丸下段の石垣です

左側は土戸御門跡を経て二ノ丸へ出ます

右へ行きます

井戸跡のようです

松阪市立歴史民族資料館を見学します

資料館を出て右に行くと助左衛門御門跡が見えます

助左衛門御門跡と鐘の櫓跡の石垣です

更に登ると再び左右に分かれます 右へ行きます

右手に櫓跡と多聞櫓跡が見えます

藤見櫓跡です

鐘の櫓跡です

本丸下段の石垣です 先に進むときたい丸へ出ます 引き返します

本丸下段に出ます 売店がありました 遠見櫓跡は発掘調査中でした

本丸下段の月見櫓跡です

月見櫓跡から多聞櫓跡を歩いて太鼓櫓跡へ向かいます

多聞櫓跡から二ノ丸を見下ろします

裏門跡も良く見えます

左の太鼓櫓跡と桝形と右の隠居丸を見下ろします

金の間櫓の石垣です 本丸上段に上がります

桝形を上がります 左側の石積みは蒲生氏時代のものだそうです

本丸(上段)に着きました 正面が天守台です

金の間櫓跡です

本丸上段はぐるりと多聞櫓が取り囲んでいます
左手奥に天守台が見えます

天守台の隣の敵見櫓跡です

天守台に上がりました

天守台からの西側にある「きたい丸」を見下ろします

きたい丸の石垣です

きたい丸からは遠くまで見渡せます

きたい丸の多聞櫓跡です

きたい丸の隅櫓跡の石垣です

中御門跡です

隠居丸(桜松閣)の入口門です

桝形を過ぎて二ノ丸へ下ります

二ノ丸から見た本丸下段の石垣です

広い二ノ丸にはお約束の藤棚がありました

亀井改堂顕彰碑です

裏門跡です

旧伊勢街道常夜灯と隠居丸の石垣です

松坂城裏門の入口です

松坂城捨石状遺構です

御城番屋敷を見学してから表門へ向かいました

二ノ丸の東南側の石垣です

二ノ丸の高い石垣です 表門跡が見えてきました