彦 根 城
滋 賀 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
滋賀県彦根市金亀町
金亀城
連郭式平山城
1622年
井伊直継
井伊氏
現存天守、櫓、門、堀、馬屋
石垣、土塁、堀
国宝(天守等2棟)
国の重要文化財(櫓、門、馬屋等5棟)国の特別史跡
御殿
2013年5月4日
彦根城の築城は、将軍徳川家康の命により佐和山城を一掃するため、慶長9年(1604)に着工されました。
当初は湖畔の磯山を予定していたといわれていますが、井伊直継の代になって現在の彦根山に決定し、20年の歳月をかけて築城されました。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築。天守は2年足らずで完成しましたが、表御殿の造営、城郭改造など、城郭の完成は1622年とされています。 この間、井伊直孝は大坂冬の陣で兄直継に代わって出陣し、その功績によって家督を継ぎ、夏の陣では豊臣方の木村長門守重成と戦い大功をあげ、井伊直政(常に先鋒を務め、徳川四天王のひとり)に劣らぬ武将と賞賛されました。
直孝は、秀忠、家光、家綱の三代にわたって、将軍の執政となり、幕府政治確立にも貢献。これらの功により3回加増され、譜代大名としては例のない30万石となります。彦根35万石といわれるのは、このほかに幕府領5万石の預かりがあり、合わせて35万石となります。天守は18万石の頃の完成でした。
佐和口多聞櫓(左)と開国記念館(右)の間から城内へ
彦根城は、明治に解体の危機にみまわれました。
しかし、今も往時の面影が今日によく残っているのは、明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからでした。
一説には、随行した参院議員大隈重信がその消失を惜しみ、天皇に奉上したとする説。 また一説には、天皇が近江町長沢の福田寺で小休止されたとき、住持攝専(せっせん)夫人で、天皇の従妹(いとこ)にあたるかね子が奉上したとも言われています。
近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝です。
彦根城は、平成8年には築城以来5回目の大改修が完了。天守の34種類約6万枚にも及ぶ屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが中心に行われ、現代に美しく蘇っています。また、彦根城の周囲は特別史跡に指定されています。
(彦根観光協会「彦根城のご案内」より引用)
開国記念館と中堀
玄宮園
玄宮園から彦根城天主を望む
玄宮園の裏手
鳳翔台(茶室)の壁
楽々園
地震の際の避難場所だったようです
黒門橋
内堀の石垣はアールがついています
黒門跡
本丸へ直登する黒門山道
登り石垣の名残
山崎郭 桜の木が多く見られました
内堀
内堀への小口のようです
登り石垣
堀への小口のようです
米蔵跡 現在は梅林になっています
井戸跡
大手山道
大手門跡
大手門橋
内堀 石垣は二段です
◆◆◆
佐和口多聞櫓
佐和口多聞櫓から天守を望む
馬屋(重要文化財)
表門橋
表門 大混雑です
表門山道
天秤櫓
鐘の丸
天秤櫓
太鼓門櫓
太鼓門櫓の石垣 自然石をそのまま利用している
本丸からの天守
本丸から彦根城博物館(表御殿跡)を見下ろす
西の丸からの天守
西の丸三重櫓
堀切に架かる橋
西の丸の石垣
山崎山道へ
山崎山道からの西の丸三重櫓