安 土 城

滋 賀 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


滋賀県近江八幡市安土町

山城
1576年
織田信長
羽柴秀吉
天守台、曲輪、石垣、堀
国の特別史跡
一部の石垣・大手道石段・門跡
2013年5月5日

大手門前の石垣 石塁と呼ばれています

安土城は、織田信長が天下統一を目標に天正4年(1576年)1月17日、重臣である丹羽長秀を総普請奉行に据え、標高199mの安土山に築城させた平山城です。
この地は、岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所でした。
現在は、四方とも干拓により陸地となっていますが、当時は琵琶湖の内湖(伊庭内湖・常楽湖)に囲まれ、南方のみが開けた地形でした。
築城開始からわずか三年後天正7年5月、わが国で初めて天守閣(天主閣)をもつ安土城が一応の完成をみせました。
ところが、天主完成から三年目の天正10年(1582年)6月2日未明、中国毛利へ出陣途中の明智光秀の謀反により信長は京都・本能寺で自刃します。49歳でした。
混乱の中6月15日、天主などを焼失、一夜のうちに落城しました。原因は織田信雄が誤って焼き払ったという説や敗走する明智光秀軍による放火という説などが有名です。
現在は、信長が他所より移築し安土城本丸の西方の峰に自らの菩提寺にしたと伝えられる「摠見寺」によって管理されています。

(摠見寺発行「特別史跡安土城跡」より引用)

大手門前の石塁と呼ばれる石垣

大手門前の石塁

大手道の登り口 右側には排水側溝が設置されています

伝前田利家邸跡

伝羽柴秀吉邸跡

伝羽柴秀吉邸復元図

伝徳川家康邸跡への入口

伝徳川家康邸跡(現摠見寺仮本堂)

石仏を石段の材料に使っています

大手道の石段 この辺りから道が曲がります

やや急な石段になります

大手道を見下ろします

大きな石灯篭です

本丸へ向かいます

森蘭丸邸跡(右)と織田信澄邸跡

黒金門を通過します

仏足石です 大きな足型です

二の丸跡

本丸へ向かいます

本丸跡 千畳敷と呼ばれ本丸御殿の跡のようです

本丸から天守台に向かいます

天守台から織田信長の墓が下に見えます

天守閣の礎石 記録では地上6階地下1階の天守だったようです

天守台からの眺め 天守閣の上からはさぞ良い眺めだったでしょう

織田家4代の慰霊塔

黒金門跡

摠見寺へ向かいます

摠見寺の本殿跡

三重塔

三重塔の木組み 素晴らしいですね

石段を下ります この道は安土城の通用口だったようです

摠見寺二王門 両側に金剛力士像が祀られています

観光施設「信長の館」にある再現された天守閣です

豪華賢覧です

緑色を使ったお洒落な内装です