観音寺城
滋 賀 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
滋賀県近江八幡市安土町
佐佐木城
山城
1467年-1487年
六角氏頼(ろっかくうじより)
佐々木六角氏
本丸、二の丸、曲輪、土塁、石垣、
堀、門
国の史跡
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2013年5月5日
観音寺城は、湖東平野の中心にある独立丘陵、繖山(きぬがさやま)の南半分を中心に築かれています。南麓は中山道に面し、西麓は琵琶湖に面する、水陸交通の要衝の地に位置します。この繖山に六角氏が城砦を築き始めたのは、南北朝の騒乱の頃と記録されていますが、この時期の遺構は見つかっていません。本格的に城郭としての整備を行うのは応仁の乱以降と考えられ、大永5年(1525年)の六角定頼による江北出陣の際には、城に留守居役を置くほど整備されていたようです。
天文元年(1532年)には、足利将軍を迎えていますので、この頃、居住性を重視した城がほぼ完成したと考えられます。
さらに、鉄砲の伝来による戦術の変化に対応し、1550年代頃に石垣を整備し、今日見られる城構えとなりました。永禄11年(1568年)六角義賢(よしかた、後の承禎)が、織田信長の攻撃を受け、戦わず城を放棄したことにより、観音寺城の歴史に幕が下ろされます。
現在確認されている郭の数は、正確には把握されていませんが、至るところに削平された平坦地を確認することができます。本丸、平井丸、落合丸、池田丸といった郭の発掘調査の結果、礎石を用いた大規模な建物、石組の水路などの遺構が見つかっています。
(滋賀県教育委員会事務局文化財保護課資料から引用)
林道の駐車場に建つ石碑
この道は「あか坂道」という観音正寺への登路です
蹴上の高い石段が続きます 金比羅よりずっと厳しい上りです
観音正寺 仁王像が迎えます
書院
本堂 祀られている千手観音のお顔はとても美しかったです
本堂からの眺め
本丸直下の階段です
階段を登りきります
本丸跡
本丸跡の石垣
井戸でしょうか?
曲輪の石垣
左の写真は林道駐車場前でお会いしたYUKIO氏です。
氏は、「後藤氏館」から1Kmくらいのところにお住まいの地元の方です。
ホームページ「観音寺城-散策の備忘録」を管理されている方で、僕らがここへ訪問する際の羅針盤になりました。
氏は、「安土城のように余り知られてなく、人の手が入っていないこの環境が保存されることを願っています」とコメントされていました。地元の宝物として大切に後世に残していきたいという願いだと感じました。
思いがけない出会いに感激し、記念撮影をさせていただきました。 【2013年5月5日】
氏のHPのURL: http://kannonjijo.com/