二 条 城
京 都 府
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
京都府中京区二条通堀川西二条城町
-
輪郭式平城
1603年(慶長8年)
徳川家康
-
御殿、櫓・門、石垣、堀、庭園
国宝:二の丸御殿6棟
国の重要文化財:建造物22棟、
御殿障壁画 国史跡、特別名称
世界文化遺産(古都京都の文化財)
-
2009年12月30日

二条城は、足利尊氏らの住まいで京都二条に在った二条城(二条陣)、織田信長が京に滞在中の宿とし、後に皇太子に献上した二条新御所、また徳川家康が京に滞在するときの宿として築造した二条城などがあり、現存しているのは家康が築造した二条城です。
関が原の戦いで勝利し実権を握り始めた家康は、1603年2月に朝廷から征夷大将軍の命を受け、3月に完成したばかりの二条城から「拝賀の礼」を行うために御所へ出立します。また、二条城において公家衆、重臣らを招いて祝賀の儀式を行いました。この将軍就任の儀式は3代徳川家光までは続きましたが、それ以降に行われることはありませんでした。家康の征夷大将軍就任によって徳川幕府が正式に発足したことになります。

東大手門
現存する二の丸御殿には、朝廷からの勅使を迎えて対面するためだけの「勅使の間」や将軍のプライベートな対面所の「黒書院」、寝室だった「白書院」などが贅沢な装飾とともに造られています。15代将軍徳川慶喜が大政奉還を発した場所として歴史的に有名な大広間一の間、後水尾天皇の行幸を迎えるために南庭の能舞台が見える大広間二の間などが設けられています。また、鴬張りの廊下でも有名です。
本丸天守は1750年に落雷により焼失し、1788年には御殿も市中の大火のため焼失してしまい、現存する建物は、皇女和宮が14代将軍家茂に嫁ぐ前に約1年8ヶ月間お住まいになった旧桂宮御殿を明治27年に本丸内に移築したものです。

10月桜

東南隅櫓

大手門

番所

唐門

二の丸御殿(国宝)
鐘

二の丸庭園

二の丸庭園

大広間、黒書院(正面)の外観

本丸櫓門

桃山門

鳴子門

内濠(東橋から)

天守閣跡(本丸庭園から)

本丸庭園(天守閣跡から)

西橋と内濠(天守閣跡から)

本丸庭園から本丸御殿入口へ

本丸御殿(旧桂宮御殿を移築)

西橋への出口

天守閣跡の石垣(西橋から)

米蔵付近から西橋方面

旧二条城の石垣

苗園付近から西橋

北中仕切門

七つ石

清流園

裏の木戸

土蔵

台所前の出店

台所

排水溝(再現)

南門

西南隅櫓

西門

外濠

北大手門