千 早 城
大 阪 府
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
大阪府南河内郡千早赤坂村
楠木詰城、金剛山城、千早の詰城
連郭式山城
1332年(元弘2年、正慶元年)
楠木正成
不明
曲輪、空堀
国の史跡
なし
2014年5月30日
千早城は、かつて金剛山中腹にあった山城で、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成の城です。
三方を深い谷が囲み、残りの一方は金剛山の山頂へ連なる尾根となっています。
現在でも、千早城の城址への道のりは険しく、ちょっとした登山へ行くような心構えが必要です。
金剛山登山口から千早城までは、徒歩で約20~30分程度ですが、ずっと石段の登りです。
楠木正成は、前衛の城として下赤阪城を、本城として上赤阪城を持っていました。千早城は詰め城でした。
千早城は堅牢な山城で、正成が奇策を用いて篭城戦を戦い抜き、最終的に鎌倉幕府軍を撤退させる事に成功した事で有名です。正成は、金剛山一帯にいくつもの要塞を築き、その指令所して千早城を用いたと伝えられています。
金剛山頂付近にその名を残す国見城址も、そういった要塞の一つです。
「千早赤坂村 観光協会」のHPから
南海電鉄「河内長野」駅前
金剛山ロープウェイ前行きバスの出発点です
金剛山登山口バス停
千早城登城口に立つ案内看板
千早城の史跡案内
いきなりの石段
四ノ丸まで続く石段
石碑 書かれている文字は読めません
四ノ丸へ最後の石段 約560段の石段は予想より早く着きました
四ノ丸 城の形跡は見当たりません
四ノ丸 登リ口方向へ振り向いてみます
四ノ丸の登リ口から
晴れた日には関西空港、明石大橋や淡路島まで見渡せるそうです
四ノ丸の両側は、深い谷です 確かに自然の要害になっています
更に石段を進んで行くと道が分岐しています 直進します
三ノ丸に建つ千早神社の社務所
二ノ丸広場 正面に本丸と千早神社本殿が見えます
本殿の石段の右側には金剛山への道が続いています
本丸 千早神社の本殿で参拝します
本殿の右手に進むと「立入り禁止」の立て札
「この裏山は千早神社と一体で神聖な場所です」との記載が
城郭の雰囲気がまったく感じられず、どこかにあるのでしょうが、空堀らしき遺構も見当たらないような城跡でした。
(財)日本城郭協会が立てたと思われる「日本の百名城 千早城」の立て札が無ければ、どこが本丸かも認知することができません。
確かに歴史がある城跡ではあるのでしょうが、ここまでくると悲しくなります。
国の史跡として指定されているのですから、もう少し何とかして欲しい気がします。