竹 田 城
兵 庫 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
兵庫県朝来市和田山町竹田
天空の城、虎臥城、安井ノ城
梯郭式山城
1441~44年
山名宗全(伝承)
羽柴秀長、赤松広秀(斎村政広)
石垣、堀、井戸など
国の指定史跡
なし
2015年4月5日
嘉吉元年(1441)、嘉吉の乱勃発後、山名氏と赤松氏の間に深刻な対立が生じていました。竹田城はこの時、赤松氏に対する山名氏方の最前線基地のひとつとして築城されました。
以後、太田垣氏7代にわたり城主となりますが、天正5年(1577)、羽柴(豊臣)秀吉のにんべん但馬攻めにより、羽柴秀長が城代となりました。これ以降、竹田城は織豊方の拠点城郭として機能しました。
天正8年(1580)、羽柴秀長は出石・有子山城に入り、その後、竹田城は秀長の属将・桑山重晴に預けられました。さらに、天正13年(1585)、桑山重晴が紀伊和歌山城代に転じると、赤松広秀が城主となりました。
シャトルバス停から舗装路を歩きます
登城路は、保護のために良く整備されています
大手虎口までの登り道
北千畳入口付近です 道には保護用のシートが敷かれています
北千畳です 右は三の丸の石垣です
三の丸への枡形です
三の丸への階段を上がります
三の丸から二の丸へ向います 天守台が見えてきました
二の丸です ここも全面にシートが敷かれています
二の丸から南二の丸、南千畳の石垣を望みます
天守台です 現在、本丸・天守台は入場禁止です
本丸を回りこんで花屋敷へ向います
本丸の石垣は、かなり痛みが進んでいます
花屋敷を上から覗き込みます
南二の丸付近から二の丸方面を振り返ります
南千畳へ下っていきます
大きな石も石垣に使われています