明 石 城
兵 庫 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
兵庫県明石市明石公園
喜春城、錦江城
連郭梯郭混合式平山城
1618年
小笠原忠真
松平直常
櫓、石垣、堀、移築門
国の重要文化財:巽櫓、坤櫓、
国の史跡
塀
2010年11月21日
明石城は、山陽道の大坂城と姫路城の中間に位置し、北方に丹波国や但馬国など山陰への道が分かれ、南には淡路島、四国へ通ずるなど交通の要所であったため、徳川幕府としても西国の大名を抑える城として重視した城でした。
連郭梯郭混合式の平山城で、柿本人麻呂を祀った人丸塚があったといわれる人丸山に築かれました。
1874年の廃城令により廃城となり複数の建造物が解体されましたが、後に地元の有志によって明石公園として整備されました。
1995年の阪神・淡路大震災で残存していた櫓や石垣が被害を受けましたが、現在は既に全面修復されています。
大手口枡形門石垣
1618年に姫路藩主であった本多忠政が、明石藩主の小笠原忠真の居城を相談しながら築城するように二代将軍・徳川秀忠に命令されました。
1619年に着工して1620年正月には小笠原忠真が入城しました。建材は、坤櫓(いぬいさるやぐら)は伏見城、巽櫓(たつみやぐら)は船上城の遺材が使われたといわれています。元々天守は建てられませんでした。
1632年に小笠原忠真が転封され、1633年に松本から松平康直が入封しましたが急死したため、松平光重が城主となります。その後も築城から50年間は頻繁に城主が交代しましたが、1682年に松平直明が入城してからは10代189年間、松平氏の居城として明治維新まで続きました。
堀
【歴代藩主】
第1代 小笠原忠真(1617年-1632年) 転封
第2代 松平庸直(1633年-1634年) 死去
第3代 松平光重(1634年-1639年) 転封
第4代 大久保忠職(1639年-1649年) 転封
第5代 松平忠国(1649年-1659年) 死去
第6代 松平信之(1659年-1679年) 転封
第7代 本多政利(1679年-1682年) 転封
第8代 松平直明(1682年-1701年) 隠居
第 9代 松平直常(1701年-1743年) 隠居
第10代 松平直純(1743年-1764年) 死去
第11代 松平直泰(1764年-1784年) 隠居
第12代 松平直之(1784年-1786年) 死去
第13代 松平直周(1786年-1816年) 隠居
第14代 松平斉韶(1816年-1840年) 隠居
第15代 松平斉宣(1840年-1844年) 病気
第16代 松平慶憲(1844年-1869年) 隠居
第17代 松平直致(1869年-1871年) 廃藩置県
堀
大手口枡形門石垣
巽櫓
坤櫓(左)と巽櫓(右)とを見上げる
坤櫓
巽櫓
巽櫓への石段と石垣
本丸
巽櫓と本丸土塀
本丸から俯瞰する
坤櫓と本丸土塀
坤櫓
坤櫓
天守台
天守台に上る
本丸広場
艮櫓跡と礎石
本丸と稲荷曲輪との石垣
剛ノ池
アオサギ
二の丸北側の石垣
薬研堀
東ノ丸入口
東ノ丸
二の丸南側石垣
中部幾次郎翁銅像(明石の名士)