姫 路 城
兵 庫 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
訪 問 日
兵庫県姫路市本町68番地
白鷺城
梯郭式平山城
1346年
赤松貞範
黒田孝高、池田輝政
現存天守・櫓・門・塀、石垣、堀、
土塁、庭園
【国宝】大天守、小天守、渡櫓
【国の重要文化財】化粧櫓など、
門15棟、土塀 世界文化遺産
2009年11月22日
姫路城に行ってきました。
大天守の改修工事が2010年4月から始まり、大天守は覆われてしまうため2014年3月頃まで内部が見られなくなるというので、急遽、行くことに決めました。
流石に国宝や世界文化遺産に指定されているだけのことはあって、素晴らしい城郭でしたが、土塀などは、そちこちにひび割れなどが出来ていて、崩壊の危険性も感じられました。
この素晴らしい遺産を是非とも後世に残したいものです。
姫路城は、播磨の守護職赤松則村が1333年ここに砦を築き、その嫡男貞範が1346年に城を構えたことに始まり、その後小寺氏、黒田氏が守っていました。黒田重隆・職隆の代に築城されたという説もあります。
黒田官兵衛孝高の勧めで、羽柴秀吉が西国攻略の時の前線基地として入城し、1581年に三層の天守閣を完成させました。
姫路駅に設置の模型
その後、羽柴秀長、木下家定が入城しましたが、関が原の戦い後、徳川家康の婿池田輝政が入封して1601年から縄張りを拡大し、姫山に五層七階の天守を築きました。
池田氏三代の後に入封した本多忠政が、嫡男忠刻とその正室の千姫(家康の孫)のために西の丸を整備して、1618年に現在の姿の全容が完成しました。
その後、城主は松平氏、榊原氏と変わり、1749年に酒井氏が入封して明治維新を迎えました。
明治維新後に民間に払い下げられましたが、とりあえず解体されずにいたところ、当時の陸軍大佐、中村重遠の働きで保存されることになりました。その後の戦火や自然災害にも被害を受けず、これまでの歴史上の危機を乗り越えてきました。
現在、大天守と三つの小天守とこれらを結ぶ渡櫓は国宝に指定され、その他化粧櫓や門、土塀などの重要文化財指定の建造物と、内濠・中濠の大部分が残っています。
1993年12月世界文化遺産に登録されました。
西ノ丸長局から
大手門前(桜門橋と大手門)
大手門
三の丸広場の売店前から
菱の門
西の丸南門跡
カの櫓
長局(百間廊下)の大戸
西の丸長局から
千姫の貝合わせ(再現)
長局(百間長屋)とヌの櫓
化粧櫓前から
化粧櫓
化粧櫓前から
いノ門
ろノ門
はノ門
灯篭の礎石
にノ門
ほノ門
ほノ門の油壁
渡櫓(台所) アールのついた渡櫓です。
当時の建築技術は素晴らしいものがあります。
へノ門
とノ一門(搦手口へ第一の門)
2009年11月16日から大天守改修工事の準備のため、搦手口(からめてぐち)へは通行止となっています。
ちノ門
旧番所
井郭櫓
備前門
折廻り櫓
水四門
水五門
西大柱 太い柱です
広い廊下
大小二重の扉
急な階段
用具掛け
西の丸を見下ろす
西大柱
太い梁の下を潜って最上階へ
大天守からの眺望
大天守から北方面
大天守は大混雑
大天守から姫路駅方面
大天守から 姫路市美術館が見える
帯郭櫓への入口
石の門
帯郭櫓(腹切丸)
帯郭櫓の井戸
石棺が使われていた石垣
りノ門
お菊井戸
ぬノ門
るノ門(穴門)入口
るノ門出口
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大柱の展示
千姫ぼたん園入口付近から
内濠
史跡の標柱
姫路食博2009の賑わい