津和野城

島 根 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


島根県鹿足郡津和野町
一本松城、三本松城、石蕗城
連郭式山城
1295年(永仁3年)
吉見頼行
板崎直盛
櫓2棟、石垣、空堀
国の史跡

2019年4月8日

津和野城は関ヶ原の戦い(1600年)の戦功により津和野藩主として入部した坂崎出羽守(1601-1616)によって山頂に高い石垣を積んで築かれた近世山城です。石垣の石材は玢岩と石英閃緑岩で、約3km北方の寺田地区や枡ヶ峠の青野山トンネル付近で採石し運び上げたものです。
特に、天守台の石垣は壮麗な石英閃緑岩で築かれ、大きな石は2トンを超えるものもあります。坂崎氏は有名な千姫事件で1616年に断絶となり、亀井家二代亀井政矩が津和野藩主として入城しました。それから約250年間、亀井氏が11代にわたって居城としました。
その後、1973年(明治6年)の「城郭存廃決定(廃城令)}によって建物は解体されたが、急峻な山頂に築かれた豪壮な石垣が当時を偲ばせています。

観光リフトを使うと、出丸の直下まで登ることができます。
体力に自信が無い方にはとても助かります。
往復450円/片道350円

観光リフトで登ります

リフト上駅から城下町が望めます

本丸へ向けて進みます

出丸の石垣です

出丸は工事中で立入禁止となっていました

大手道との合流点です

左手に石垣が見えてきます

三段の石垣は一部崩壊していました

東門跡から入城します

三段櫓跡です

三の丸、馬立・台所の先が海老櫓です

右側の礎石が馬立跡です

西門跡です

人質櫓の高石垣です 妻が小さく見えます

南側曲輪から人質櫓の石垣を見上げます

南門跡です

人質櫓跡と三十間台の高石垣です

急斜面の地盤にもかかわらず、よくぞこのような高石垣を積み上げたと感心します。絶妙なバランスが成立しているのだと思いますが・・・

天守台に登ります

天守台です

天守台から三の丸を見下ろします

三十間台に登りました 最高所です

三十間台から人質櫓跡と下に南側曲輪です

三十間台から津和野の城下町が一望です

JR山口線が通過しました

鉄門跡から太鼓丸へ下ります

太鼓丸です

太鼓丸から東門へ下って行きます

太鼓丸から東門跡を見下ろします

西門跡に戻ってきました

大手道出合へ向かいます

大手道出合から大手道へ入ります

大手道を下ります

運搬途中の城壁用石群です

大手道口です