津 山 城

岡 山 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


岡山県津山市山下
鶴山城
梯郭式平山城
1441~1444年
山名忠政
森 忠政
石垣、堀
国の史跡
本丸備中櫓、塀
2015年4月6日

【築城のあとさき】

室町時代、美作の守護大名、山名氏が築いた鶴山城。応仁の乱の後、廃城となりやがて戦国の世も終わり江戸時代を迎えます。慶長8年。森忠政が美作18万65百石に封ぜられ、本格的な築城が始まります。忠政は最初現在の院庄の址に築城を始めましたが、重臣同士の抗争もあり、うまくいかず中止します。
第二の候補地に、山名氏の古城跡、鶴山を選びました。そして築造足かけ13年。五層四庇の堂々たる天守を持つ巨城と50年の歳月をかけて賑やかな城下町、津山が生まれたのです。
徳守、大隅など守護神の勧進や、他国の名城の調査など、忠政の築城にかかえる意欲は、なみなみならぬものであったと伝えられています。

”津山さくらまつり”の最中で賑わっていました

【鶴山400年の城主、森家と松平家】

鶴山の町とお城の生みの親、森忠政は織田信長の剣小姓として本能寺の変で勇名を遺したあの森蘭丸の弟です。信濃川中島の功で、美濃から美作18万65百石に封ぜられました。
森家は、そのあと衆楽園を造った名君二代長継、そして三代長武、四代長成と続いたあと、元禄10年嗣子がいないために津山城を松平家明け渡すことになるのです。
親藩松平家は10万石。康哉、確堂など数々の名君を送り、以来、大政奉還まで九代172年間、津山城を守り続けました。

長い階段を登ります

森忠政の銅像と三の丸の石垣

冠木門

表中門跡 三の丸から二の丸への石段

見付櫓付近の石垣、石段

二の丸への石段

二の丸

二の丸から備中櫓を見上げます

表鉄門跡 二の丸から本丸の中間地点

本丸への最後の石段を登ります。
本丸の石垣もかなりの高さがあります。
満開の桜が彩を添えています。

本丸

本丸に建つ備中櫓(再建)

天守台の石垣です

天守台です

天守台に立つと城郭の大きさを実感します

長櫓跡

涼櫓跡

腰巻櫓跡

裏中門跡

長屋櫓跡

栗積櫓(小天守)跡

もみじ谷の眺め

もみじの小道から城下町を望みます

備中櫓と桜

三の丸から枡形を下って帰路につきます

津山城(鶴山公園・かくざんこうえん)

慶長8年(1603)森忠政(森蘭丸の弟)が信州中島から18万6500石の大名として入封したとき、13年の歳月を費やして築いた要塞堅固な名城「鶴山城」。
明治4年廃藩となって城は取り壊しの命運となりましたが、明治33年当時の津山町は城跡を町有化し鶴山公園としました。
春には約千本の桜が咲き乱れ、西日本隋一の桜の名所として多くの人が花見に訪れ、特にぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的だそうです。
また、新緑の頃の藤、芝桜、あじさい、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。
天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、備中櫓が復元され、本丸までの高さ45Mの壮大な石垣とともに往時の面影を今に伝えています。