福 山 城
広 島 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
広島県福山市丸之内1丁目
久松城、葦陽城(いようじょう)
輪郭式平山城
1622年
水野勝成
阿部氏
櫓、門、鐘楼、石垣
国の重要文化財(伏見櫓、筋鉄御門)市指定重要文化財(鐘楼)
天守、月見櫓、御湯殿
2015年6月7日
福山城の歴史 --福山市博物館HPから転写--
福山城は徳川幕府から西国鎮護の拠点として、譜代大名水野勝成が元和5年(1619年)備後10万石の領主として入府し築いた城で、江戸時代建築最後の最も完成された名城としてたたえられていました。
また,伏見櫓は、元和8年(1622年)築城の際に、京都伏見城の「松の丸東やぐら」であった遺構を徳川秀忠が移建させたもので白壁三層の豪華な姿に桃山時代の気風が伺えます。
歴代の藩主は、水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と続き廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心でした。
明治6年(1873年)に廃城となり、多くの城の建物が取り壊され、更に昭和20年(1945年)8月の空襲により天守閣と御湯殿も焼失することとなります。
その後昭和41年(1966年)の秋に市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復原され、天守閣は福山市の歴史を伝える博物館として藩主の書画・甲冑など展示しています。
福山城が築城されるまで、「福山」という街はありませんでした。この周辺は「杉原保」と呼ばれ古代から荘園として栄えていました。安土桃山時代には「野上村」と改称され、福山城の建つ丘陵には「常興寺」という寺がありましたが、築城にあたり北部に隣接の吉津村に移設されました。
築城は低湿地な場所での工事も多く、また北側に流れる吉津川の大水害などもあり困難を極めたといわれています。城の用材には神辺城や伏見城の遺材も多く用いられました。伏見城から移築された建造物としては伏見櫓、月見櫓、御殿(伏見御殿)、御風呂屋(御湯殿)、鉄御門、追手御門および多聞櫓などがあります。福山城は10万石の城としては、五重の天守や三重櫓7基を始め20以上の櫓を建てるなど並外れた居城で、江戸幕府として西国街道と瀬戸内海の要衝として位置づけていたことが想像に難くありません。
東御門跡
本丸から天守
天守から福寿会館方面を望む
再び本丸から
鏡櫓(再建)
月見櫓(再建)
湯殿殿(再建)
鐘楼(市指定文化財)
筋鉄御門(重要文化財)
筋鉄御門横の番所跡
筋鉄御門を外部から見る
福山駅に面する高石垣
伏見櫓
西坂口?への通路
鐘楼を反対側から見る 現在は石垣ですが門があったようです
阿部正弘之像 幕末期の優れた福山藩主です
二の丸の北側
天守の北面
福寿会館への入口 複数の茶室があります
福寿会館 部屋を貸し出しているようです
何か礎石のようですが・・・?
東坂でしょうか?
旧内藤家長屋門(市指定文化財)