萩 城
山 口 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
山口県萩市
指月城
梯郭式平山城
1604年(慶長9年)
毛利輝元
毛利氏
長屋、石垣、堀
国の重要文化財:厚狭毛利家長屋
国の史跡
北の総門、土塁、土橋
2019年4月7日
関ヶ原の合戦の敗戦で、西軍の総大将であった毛利輝元は、長門、周防2国に移封されました。輝元は慶長9年(1604)日本海に面した長門国の萩に築城を開始しました。萩城は標高143mの指月山の山麓に本丸が築かれたことから指月城とも呼ばれています。
城郭の構造は指月山麓の平城の部分と山頂の山城の部分とを合わせた平山城です。明治7年(1874)に天守閣などは解体されましたが、庭園や石垣と堀の一部が往時の姿をとどめています。
二の丸南門跡から入城します
毛利輝元公の像
二の丸南門の枡形
本丸門へ橋を渡ります
史跡萩城跡の碑
堀の向こうに天守台が見えます
反対側の堀です
本丸門跡で入城料を払います JAF割引があります
本丸内の石垣です
天守台に登ります
天守台です
天守台から着見矢倉側の堀を見下ろします
天守台から西側の堀を望みます
詰丸跡への登城口です
1770年に建立された重建大祖神廟記の碑です
山道を登ります
まだまだ登ります 汗が出ます
石垣が見えてきました
約30分、詰丸に着きました
土塀はかなり痛んでいます
軒先瓦の模様
矢倉門跡と要害門矢倉です
詰丸二の丸の用水槽です
詰丸二の丸です
詰丸本丸です
詰丸本丸には貯水池跡がありました
指月山頂詰丸本丸からの眺望です
詰丸から 下山して本丸内を散策します
北櫓跡です
宮崎八幡宮社家跡です
倒壊寸前の土塀です
潮入門跡です 直ぐに砂浜です
海岸線の石垣です
紙矢倉跡です
華矢倉跡です
着見矢倉跡と指月山(詰城)
二の丸東門跡です