高 松 城
香 川 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
香川県高松市玉藻町
玉藻城
輪郭式平城
1590年
生駒親正
松平頼重、松平頼常
櫓、門、渡櫓、石垣、堀
国の重要文化財(北の丸月見櫓、
水手御門、渡櫓、旧東の丸艮櫓、
披雲閣)
御殿
2012年6月4日
高松城は、豊臣秀吉が瀬戸内水軍の拠点を築けと生駒親正に命じて築城させた日本三大水城の一つです。
普通の地域であれば、海側は安全なので陸からの攻撃に備えた縄張りにするのですが、高松城では海側からの攻撃を防ぐことを重視した城なので、海側に石垣を積み櫓や門を配し、また外堀は海と直結させて海水が引き込まれそれを運河として利用するなど、海との係わりを強く意識した構えとなっています。
生駒氏は4代54年間続きましたが、生駒騒動といわれるお家騒動の結果、この地を追いやられ、出羽国(秋田県)矢島に移封されました。
太鼓櫓跡に移築された艮櫓(うしとらやぐら)
それに代わって徳川家康の孫で、水戸光圀(黄門)の兄に当たる松平頼重が入ります。頼重は、徳川将軍家としての立場で、中国・四国地方を監視する役目を負って配置されたようです。
松平家は11代続きましたが、明治3年には廃城となり、一時政府の所管となりましたが、城跡の一部が松平家に払い下げになり、昭和20年には財団法人松平公益会に、更に昭和29年に高松市が譲り受けて、高松市玉藻公園として一般公開されるようになりました。
この「玉藻」の由来は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、この周辺の海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことによるといわれています。
旭橋
旭門
埋門 石垣をトンネル状に構築した珍しい門(使途不明)
艮櫓(うしとらやぐら) 城内から
内堀の向こうに天守台
桜御門跡
披雲閣
昭和天皇、皇后両陛下が宿泊されたことがあります
披雲閣玄関
披雲閣の塀 曲線を描いています
披雲閣
披雲閣の内部
披雲閣
大書院がある棟
内庭から大書院
大書院の内部 建具を外すと142畳の大空間
宿泊棟
宿泊棟
北の丸月見櫓
水手御門、渡櫓
ど根性松(1994~)
景石の上で成長している松 樹齢約18年
海側に面した石垣
月見櫓、水手御門、渡櫓 外は海であったと思われる
水門 奥が二の丸
鞘橋 天守への渡橋 現在は発掘調査中で渡れず
二の丸
内堀
水門近くの内堀を泳ぐ鯛 餌付けしているようです
内堀越に鞘橋
天守台 再建の計画があります