今 治 城

愛 媛 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


愛媛県今治市通町3-1-3
吹揚城、美須賀城
輪郭式平城(海城)
慶長7年(1602年)
藤堂高虎

石垣、堀
愛媛県指定史跡
模擬天守、鉄御門、多聞櫓5棟、石垣
2013年12月8日

関が原の戦いの功績により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、瀬戸内海に面した海岸に築いた大規模な平城です。
慶長7年(1602年)に築城を開始し、建造物も含めて完成したのは同13年頃と見られています。海水を引いて三重に張り巡らせた広大な堀や港(舟入)などを備えた日本屈指の海城でした。本丸には日本初の層塔型の五重天守が建てられましたが、高虎転封の際に解体され、その後徳川家に献上されて丹波亀山城天守となりました。高虎転封後も養子の高吉が今治領2万石を領して居城しました。
高吉転封後は松平(久松)定房が城主となり、10代230年余りにわたって統治しました。
明治維新以後の廃城令により建築物は破却されてしまいました。

鉄御門へ向かいます

【鉄御門と多聞櫓】

二の丸の表門です。巨大な枡形や付属する多聞櫓によって厳重に守られていました。枡形に侵入した敵兵に対しては、門の上部を含め三方向から攻撃できる構造になっています。
2007年に市民の寄付によって総工費10億円をかけて櫓門や多聞櫓などを忠実に再現復元され、一般公開されています。未だ木の香が残る古来からの工法の素晴らしい木造建築物を拝見させていただきました。

鉄御門と多聞櫓

鉄御門と多聞櫓 二の丸から

多聞櫓の内部 木造はいいですね~

藤堂高虎像と模擬天守 この像も市民の寄付によって建立されました◆

二の丸

吹揚神社(左・本丸)と模擬天守 天守は吹揚神社の場所にあった

天守からの眺望 高層建物は宿泊した「今治国際ホテル」

天守から南東方面の眺望

「しまなみ海道」の吊り橋が見えます

鉄御門の枡形がよくわかります

山里櫓と山里門 1990年の再建

御金櫓 二の丸の東隅に建つ 1985年の再建

内堀を隔てて左から武具櫓、模擬天守、山里櫓