大 洲 城

愛 姫 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財

再 建 造 物
訪 問 日


愛媛県大洲市大洲
比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城
梯郭式平山城
1331年(元徳3年)
宇都宮豊房
藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰
櫓、石垣、堀
国の重要文化財(台所櫓、南隅櫓、
高欄櫓、苧綿櫓)愛媛県重要文化財
天守、多聞
2019年6月18日

大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道、宇和島街道の結接点にあり、また東には四国山脈を抜けて土佐国に出る街道があります。更に西には大洲の外港とも言える八幡浜があり、大洲は歴史的にはややひなびた立地ながらも交通の要衝と言える場所にありました。
宇都宮氏が創建した当初は、肱川と久米川の合流点にあたる地蔵ケ岳城と呼ばれました。江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模な修築がされ、近世城郭としての体裁を整えました。伊予大洲藩の政治と経済の中心地として城下町は栄えました。また、明治維新後から現在に至る地元住民の城郭への保護活動と、2004(平成16)年に主に市民による寄付によって完成した往時を出来る限り復元した四層四階建の木造天守は特筆すべきものと言えます。

櫓下御門(二の丸大手門)から入城します


妻は腰かけて地元のご老人から城のお話を伺っています

櫓下御門跡には礎石が残るだけです

櫓下御門を過ぎると直ぐに天守閣が見えてきます

天守閣に向かいます

二の丸御殿跡です

天守と高欄櫓です

北の菱御門(二の丸搦手門)跡です

玉櫓跡です

天守と2段の天守台石垣です

鉄砲櫓跡です

井戸丸から天守閣を見上げます

井戸がある本丸の下段の曲輪は井戸丸と呼ばれます

本丸下段の曲輪です

天守閣に至る最後の門の暗り門跡です

本丸です

天守閣の内部を見学します

高欄櫓への急階段を登ります

高欄櫓から台所櫓を覗きます

高欄櫓から天守閣を見上げます

天守閣に登って行きます


大洲城は1888(明治21)年、惜しくも天守閣が取り壊されてしまいました。四層の櫓は解体を免れ、いずれも国の重要文化財に指定されています。四層四階の天守は、明治期の古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組模型などの史料をもとに2004(平成16)年に木造で復元されました。

天守最上階からの展望です(南側)

天守最上階からの展望です(西側)

天守最上階からの展望です(北側)

天守最上階からの展望です(東側)

台所櫓へは立入禁止でした

苧綿櫓(オワタヤグラ)へ向かいます

本丸の石垣は数段に積まれています

肱川に出ました 正面に見えるのが苧綿櫓です

苧綿櫓です

大洲城と肱川です

三の丸の南隅櫓です 内部の見学ができます


訪問した日は、偶然にも重要文化財に指定された日と同じ6月18日でした。また、指定された年は、妻の生年と同じ昭和32年でした。不思議ですね。

旧大洲藩主の加藤家住宅主屋です(国の有形文化財)