高 知 城
高 知 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
高知県高知市丸の内1-2-1
鷹城
梯郭式平山城
慶長3年(1603年)
山内一豊
山内豊敷
現存天守、御殿、櫓、門、石垣、堀
国の重要文化財、国の史跡
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2013年12月6日
高知城は、日本で唯一本丸の建築群がすべて現存する、江戸時代の姿を今に伝える城郭です。
もともとこの場所には南北朝時代に築かれた大高坂城があり、戦国時代には長宗我部元親が岡豊城から移り築城に取り組んでいました。しかし、治水に難儀し、わずか3年で元親は浦戸城へ本拠を移してしまいます。その後、関が原の戦の功績で遠州掛川から移封した山内一豊がこの地を城地と定め、慶長6年(1601年)秋から築城を開始しました。
一豊は築城家として知られた百々越前守安行を総奉行に任じ、近隣諸村から石材や木材を取り寄せ工事を進めましたが、難工事の末、城のほぼ全容が完成したのは10年後、二代藩主忠義の治世に移った慶長16年のことでした。享保12年(1727年)には一部の建物を焼失。ただちに復旧にあたりましたが財政難もあって天守閣が復興するまでに20年以上の歳月を要しました。その後、明治維新になって廃城となり、本丸と追手門を除くすべての建物が取り壊され、公園となって今に至っています。
山内一豊の像
追手門前の内堀
追手門と天守
追手門 石垣上に渡櫓を載せた櫓門
杉ノ段へ石段を登ります
石段を登ると正面の石垣上に天守が見えてきます
右へ行くと三ノ丸、左へ行くと二ノ丸です
振り返ると天守が堂々とした姿を見せます
二ノ丸から「橋廊下」を通って本丸へ
本丸の天守と御殿
天守へ登ります
天守内部
天守の最上階
天守からの本丸を見下ろします 左が黒鉄門、中央が西多聞
二ノ丸への登路が良く分かります
御殿の内部です
御殿の縁側
黒鉄門
獅子の段からの天守
鐘獞堂
御台所屋敷跡付近の紅葉
銀杏並木から水ノ手門跡への石段
二ノ丸で夜間ライトアップの準備を進めるボランティアの皆さん
高知城の本丸には天守、本丸御殿、納戸蔵、廊下門、東多聞、西多聞、黒鉄門などの遺構があります。天守が現存する12城のなかでも、本丸御殿が残っているのは高知城だけで、いずれも国の重要文化財に指定されています。
御殿の書院は正殿、溜ノ間、玄関からなり、正殿には一段高くした上段ノ間があり、西側には武者隠しがあります。土佐の荒波を表現した欄間を配するなど、創建当初の御殿は金箔張の襖など贅を尽くしたものでしたが、再建時には全体に質素な造りになったそうです。