福 岡 城
福 岡 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
福岡県福岡市中央区城内
舞鶴城
梯郭式平山城
1601年(慶長6年)
黒田長政
黒田長溥
櫓4棟、門3棟、石垣、堀
国指定史跡
二の丸北隅櫓、大手門
2017年3月8日
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで徳川側の戦勝功労大なりとして、黒田家は豊前中津12万3千石から52万3千石の大守となって筑前の国へ移封されました。
黒田如水・黒田長政親子は、博多湾の中央部にあった福崎の地に、慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて、城地総面積約80万㎡(約24万坪)の平山型の巨大な城を築城しました。
今日も展望の素晴らしい天守台をはじめ、本丸・二の丸・三の丸と城郭全体の姿を残しています。戦略性に富んだ複雑な石垣の上に往時、47櫓と十指に及ぶ諸門がありました。天守閣については存在しなかったという説がありまし たが、近年最初の10数年間存在したという説が出ています。
草ヶ江の入り江を利用した大堀を含めた内堀を周囲にめぐらせ、さらに北は博多湾、南は赤坂山で守られています。鶴が羽を広げた形に似ていることから、別名、舞鶴城とも言われ、同時に東西7キロ南北3キロの広大な城下町が建設され、この時、福岡の名前も誕生しました。
黒田家11代、270年間続きましたが、明治以降陸軍の管轄になり、城地はそのまま温存されましたが、建築物は大半が撤去されました。
昭和32年(1957年)以降、国史跡に指定されました。近年、石垣整備や天守閣を含め城郭建物修復再現に向かっての気運が高まっています。