吉野ヶ里

佐 賀 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物

訪 問 日


佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手

平城(環壕集落)
弥生時代、古墳時代、奈良時代等



国指定特別史跡
物見櫓、高床住居、竪穴住居、
主祭殿など
2017年3月9日

吉野ヶ里遺跡は、紀元前5世紀から紀元3世紀までの約700年間も続く長い時代の全ての時期の遺構、遺物が発見された学術的価値の高い遺跡です。
弥生時代前期(紀元前5~前2世紀)に吉野ヶ里の丘陵一帯に分散的に「ムラ」が誕生します。やがて南側の一画には環壕をもった集落が出現し、「ムラ」から「クニ」の中心集落へと発展する兆しが見えてきます。
弥生時代中期(紀元前2~紀元1世紀)には丘陵の南側を一周する大きな外環壕が掘られます。
首長を葬る「墳丘墓」や、たくさんの「甕棺墓列(かめかんぼれつ)」も見られます。

集落の発展とともに、その防御も厳重になってきていることから「争い」が激しくなってきたことがうかがえます。
弥生時代後期(紀元1~3世紀)には国内最大級の環濠集落へと発展し、大規模なV字形の外環壕によって囲まれ、さらに特別な空間である2つの内郭(北内郭・南内郭)をもつようになります。
これらの内郭には、祭殿や物見櫓などの大型の建物が登場し、吉野ヶ里遺跡の最盛期にあたります。
古墳時代の始まりとともに、近畿地方や各地の環壕集落と同様に吉野ヶ里の壕でも大量の土器が捨てられて埋め尽くされてしまい、集落はほぼ消滅して離散していきます。