島 原 城

長 崎 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


長崎県島原市城内
森丘城、高来城
連格式平城
元和4年(1618年)
松倉重政
高力氏、松平(深溝)氏、戸田氏
石垣、堀
長崎県指定史跡
天守、丑寅櫓、巽櫓、西櫓(外観)
2017年3月10日

島原城が建つ地は森岳といい、有馬晴信が本陣を構えて佐賀・龍造寺隆信軍を撃破したところです。
この瑞祥の地に、五条(奈良県)から入封した松倉重政が島原城を築きました。元和4年(1618年)に着工、4~7年の歳月を経て完成。同時に島原城下町も整備しました。
層塔風総塗込の互層の天守閣を据える本丸、北へ二の丸と三の丸を配置して、要所を三層櫓で固め、外郭は4キロにわたって矢狭間をもつ練塀で取り囲みました。4万石の大名には過分な城です。
ここに有馬氏時代からの海外貿易の利益と、松倉氏の新興大名としての意気込みが見られます。

以来、松倉氏・高力氏・松平氏・戸田氏・再び松平氏と四氏19代の居城として輝きました。
その間、寛永14年(1637年)島原の乱では一揆軍の猛攻をしのぎ、寛政4年(1792年)の寛政の大地変(島原大変)時には、打続く地震と足下を洗う大津波にも耐えてきました。
明治維新で廃城となり、払下げ・解体されましたが、島原市民の夢である御城復元への取組みが長年続きました。
昭和39年(1964年)天守閣が復元するなど、次第に昔の面影を取り戻しつつあります。