飫 肥 城

宮 崎 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


宮崎県日南市飫肥
舞鶴城
群郭式平山城
戦国初期
新納忠続、伊東祐実
伊東祐兵
石垣
日南市史跡
御殿、櫓門、門、塀
2017年3月11日

飫肥城は、長禄2年(1458年)、島津氏の臣新納忠続(にいろただつぐ)が飫肥城主に封じられるのが史料上の初出です。
その後、島津氏一族が城主となり、両者の間で城をめぐって攻防戦が繰り広げられました。
天正15年(1587年)、九州平定に乗り出した豊臣秀吉にいち早く味方した伊東氏は飫肥を与えられ、関ヶ原の戦い後は徳川氏より領地を安堵されました。

のちに伊東祐実の貞享3年(1686年)からの大改修により、近世城郭としての体裁を整えました。
城は標高20~30mのシラス台地にあり、西から南に流れる酒谷川を堀とし、本丸、中の丸、松尾の丸など多くの曲輪に分かれていました。
明治6年(1873年)にすべての建物が取り壊されましたが、昭和53年(1978年)に大手門が、昭和54年(1979年)に松尾の丸御殿が再建されました。