鹿児島城

鹿児島県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


鹿児島県鹿児島市城山
鶴丸城
平山城
1601年(慶長6年)
島津忠恒
島津吉貴
石垣、堀、石橋
鹿児島県の史跡

2006年10月20日

鹿児島城は、1601年に島津忠恒(家久)によって鹿児島市城山の東麓に築城された簡素な城で、鶴丸城ともいわれました。
忠恒は、島津義弘の実子で義弘の兄の島津義久の婿養子でしたが、忠恒が、関が原の戦いで西軍に付いて敗れ、引責辞任をしたため、後を継ぐことになりました。
鹿児島城がある地は、海岸にも近く防衛上にも問題があると、義弘に反対されましたが、それを押し切って築城したようです。天守や高石垣などは築かず、北側に本丸、南側に二の丸や出丸を設け本丸御殿を建てるだけの簡素な城であったようです。
鹿児島城は防衛上の問題もあったため、城山を籠城のための城と位置付けていたようです。その城代に島津歳久の孫の島津常久が居住していましたが、常久が若くして没した後は後任を置かずに聖域として立ち入りが禁じられました。
現在は、本丸跡に鹿児島県歴史資料センター、二の丸跡には鹿児島県立図書館、美術館、博物館などが建っています。