今帰仁城
沖 縄 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊
北山城
山城
13世紀ころ?
湧川按司?
北山王、第一尚氏
城壁、石垣
国の史跡、世界遺産
なし
2017年1月10日
14世紀の中国の史書に琉球国山北王「帕尼芝(はにじ)」「珉(みん)」「樊安知(はんあんち)」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山鼎立の時代」でした。北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年(1422年説もあります)に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。
北山の敗北後、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁グスクに設置し、1422年以後、監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上したとされています。監守が住まなくなって以後は拝所とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れています。
今帰仁城の入口です
石垣が分断されています
外郭と呼ばれるところです
比較的低い石垣が蛇行して続いています
大隅(ウーシミ)の戦時に備えた高い石垣です
平郎門から有料エリアに入ります
大隅の曲線の石垣は初めて見ます
平郎門を潜り振り返ります
カーザフといわれる湧水があったところです
平郎門から入って旧道は右に曲がった道です
大庭(ウーニャ)といい行事が行われたようです
歌碑が建っています
御内原(ウーチバル) 今帰仁城に仕えた女官の生活の場です
御内原から大隅を見下ろします
御内原まで高低差があります
チンチジアマチジ(城内上の御嶽)
志慶真門郭(シゲマジョウカク) 城主に仕えた人々が住むところ
主郭(俗称本丸)の建物跡
主郭は城内で最も中心的な建物があった場所です
主郭の建物跡です
主郭から志慶真門郭への門
火神を祀っています
グスク交流センターです