大 垣 城
岐 阜 県
所 在 地 | 岐阜県大垣市郭町 |
通 称 | 麋城、巨鹿城 |
城郭の構造 | 連郭輪郭複合式平城 |
築 城 年 | 伝・天文4(1535)年 |
築 城 者 | 伝・宮川安定 |
主な改修者 | 氏家直元、伊藤祐盛 |
遺 構 | 石垣、曲輪 |
指定文化財 | 大垣市指定史跡 |
再 建 物 | 天守、乾櫓、艮隅櫓(外観復元)、門 |
訪 問 日 | 2025年4月18日 |
大垣城は天文4(1535)年に宮川安定(ヤスサダ)により創建されたといわれています。創建当初は水門用を利用した小規模なものでした。慶長元(1596)年、伊藤祐森が城主の時に天守が造営されたといわれています。
江戸時代になると改修が行われ、現在のような4層4階の天守となり、総堀が完成しました。城下には、美濃路の宿場町である大垣宿や船町川湊があり、人や物が集まる交通の要所でした。
昭和11(1936)年に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年7月の空襲で焼失しました。昭和34(1959)年に国宝指定時の写真や実測図をもとに、戦災前の姿で再建されました。
大垣城の西側から入城します
左手の竹之丸辺りは常葉神社です
右側の竹之丸辺りは大垣公園になっています
この辺りは堀になっていたと思われます
正面に西門が見えます 左方向へ回り込みます
乾隅櫓の角を右へ曲がります
乾隅櫓の横には水之手門跡があります
土塀に沿って進むと艮隅櫓があります
更に進むと東門に出ます ここが正面玄関のようです
本丸に入りました
東門を反対側から見ます
本丸です
天守に向かいます
再建天守です RC造です
天守からの展望です 西方向です
南方向です
東方向です
北方向です
大垣城の絵図 説明図は ココ
天守の断面図です
東埋門跡の向こうに武徳殿です
辰巳櫓跡です
鉄門跡です
金森吉次郎の像です
麋城の滝です
西門の方へ戻ります
西門を入ります
乾隅櫓と「あおむの松」です
水之手門跡を反対側から見ます
天守台の石垣です 石垣が白っぽく見えるのは石灰岩のためです
明治29年の大洪水の際の水位到達点です
岩に横に溝が彫られています
竹之丸と内堀跡は広場になっています
天守と乾隅櫓も見納めです
離れたところ(ブラツキ通りの廣嶺神社境内内)にひっそりと立つ東口大手門跡の標柱です
見つけるのに苦労しました