津 城
三 重 県
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
三重県津市丸之内
安濃津城
輪郭式平城
永禄年間(1558年-1577年)
細野藤敦(長野氏一族)
織田信包、藤堂高虎
石垣、堀
三重県史跡
模擬隅櫓
2024年5月17日
織田信長の伊勢国侵攻に伴い地元の雄・長野氏に養子入りした弟・信包は、低湿地であった安濃川のデルタ地帯に新たに城を築きます。天正8(1580)年に完成したこの城が津城のルーツとなりました。ここは北を安濃川、南を岩田川に挟まれており、敵からの防御に優れた場所に城を築いたといえます。
文禄3(1594)年、信包が秀吉に改易され、翌年新たに富田氏が津城主となります。知信・知高親子2代にわたる治世は約15年に及びます。
慶長13(1608)年、徳川家康の命により、富田氏に替わり藤堂高虎が伊予国今治から伊勢・伊賀の城主として入府します。築城の名手・高虎は大坂包囲網づくりのため各地の天下普請に多忙を極めましたが、漸く慶長16(1611)年になり自領の津城と伊賀上野城の大改築にかかります。両城とも単なる城づくりではなく、来るべき泰平の世を見据えた新たな城下町の建設を構想したものでした。
2017年に「続日本100名城」に選ばれた津城最大の特徴は、最大100mにも及ぶ幅の広い内堀と、本丸北側に代表される直線的な稜線を持った高石垣です。これは高虎の城づくりの特徴で、石垣の上に建つ白壁の櫓が堀の水面に映える姿はまさしく「水城」と言えます。
かつては東鉄門がありました
お城公園の記念碑
東鉄門跡です
東鉄門桝形についての解説がありました
本丸の東側に位置する虎口で、外門の東黒門と内門の東鉄門からなる桝形で、周囲に多聞櫓を巡らせた厳重な構造でした。東黒門は高麗門、東鉄門は鉄板張の門扉の櫓門でした。
丑寅櫓跡へ向かいます
丑寅櫓跡に登ります
丑寅櫓跡から内堀北側を見下ろします
藤堂高虎騎馬像です
大天守台です
右に小天守台、正面に埋門(うずみもん)です
埋門は内堀に面して犬走があり火災時の脱出口として寛永16(1639)年に造られました
大天守(奥)と小天守(手前)の石垣です
野面積みに近い打込みはぎ積で、隅部は算木積に近い積み方です
高山神社です ここはかつて内堀でした
高山神社社殿の千木は外削ぎで鰹木は5本でした
内堀の名残です
藤堂高虎が創設した藩校の講堂の正門であった入徳門です
昭和42(1967)年にここに移築されました
西の丸桝形です 二階門(内郭大手門)がありました
右は玉櫓跡です
下馬冠木門跡から二階門を見ます
正面が玉櫓跡です
内堀です 現在は埋め立てられて半分以下の幅になっています
右が戌亥三重櫓台です ここから丑寅三重櫓台まで多聞櫓がありました
丑寅三重櫓台を下から眺めます
丑寅三重櫓から戌亥三重櫓までを復元する計画があります
寄付の募集中でした
東鉄門を通過していきます
月見櫓台の石垣です
織田信包時代の旧隅部(左側)と南多聞櫓台との接続部です
埋門へ戻りました ここから東鉄門まで避難用の犬走がありました