田 丸 城

三 重 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


三重県度会郡玉城町田丸

平山城
南北朝時代
北畠親房、北畠顕信
田丸氏、北畠氏、織田信雄ほか
石垣、堀、富士見門ほか
三重県指定史跡
なし
2024年5月18日

田丸城は古来、玉丸城と称され、延元元(1336)年後醍醐天皇の吉野遷幸の時期に、北畠親房が伊予の拠点として築きました。
永禄10(1567)年より織田信長軍の伊勢進攻を受け、その後天正3(1575)年より北畠信雄(織田信雄)が在城、同8年の焼失までの間に大々的に田丸城の改修を行いました
関ケ原合戦後、元和2(1616)年田丸城は津城主藤堂高虎の所領となり、同5年の紀州藩設置により紀州徳川家家老の久野丹波守宗成が城主となりました。
田丸城跡は築城時期が14世紀にさかのぼることから、当初の城は現在のような石垣は無く、丘陵に土塁を巧みに組み合わせた中世山城と同様の構造であったと考えられています。
その後16世紀の織田支配時期の改造時に石垣が構築され、藤堂家支配時期を経て紀州藩出城となり江戸期を通じて様々な改修がなされました。なお、北の丸跡や二の丸跡付近には古い時代の石垣が残存しています。また、県内の城跡としては珍しく外堀が残されており、昭和28(1953)年三重県史跡に指定されました。

大手門付近の外堀です

玉城町役場と外堀です

大手門橋を渡ります

内堀と石垣です

二の門跡です

野面積みの石垣です

玉城中学校の際を登って行きます

堀の名残でしょうか?水溜りがありました

蓮池跡です

江戸中期に建てられた富士見門(移築)です

三の丸跡です

本丸虎口跡を通過します

右手には石垣が見えてきました

天守台も見えてきました

左へ天守台へ向かいます

本丸虎口と門

本丸跡に着きました

天守跡です

本丸門跡です

二の丸跡へ向かいます

空堀は深さがあります

二の丸です

二の丸虎口跡を下から見上げます

富士見台跡です

搦手門跡から二の丸へ通じる道の石垣です

本丸へ戻りました 空堀の石垣上部です

櫓跡のように見えます

本丸天守台の裏手に来てみました

本丸の石垣です

空堀です

下の道を見ると高度感がありました