石垣山城
神奈川県小田原市
所 在 地
通 称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者
主な改修者
遺 構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日
神奈川県小田原市早川
石垣山一夜城
梯郭式山城
1590年
豊臣秀吉
なし
石垣、曲輪、堀切、井戸
国の史跡
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2009年5月23日
史跡石垣山は、JR早川駅の西方約2.5km、国道1号線から東へ約1kmのところにあります。また小田原城まで僅か3kmのところにあり、標高257mの本丸からは小田原城や城下の様子が一望できます。
石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲したとき、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。その城を秀吉が一夜にして築いたように見せかけたという伝承から、石垣山一夜城とか太閤一夜城などとも言われています。
秀吉は、この城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿楽師等を呼び寄せました。
展望台へ向かいます
また自ら淀君などの側室も呼び、参陣の諸大名にもこれに倣うように勧めたと言われています。この城は単に小田原攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであったといえます。
この城は関東で最初につくられた石垣の城です。石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積といわれるもので、小田原藩の管理下におかれていた江戸時代にも、度重なる大地震に耐え、今日まで当時の面影を大変よく残している貴重な城跡です。
この石垣山は、土地所有者の松岡氏を始め地元関係者の御厚意により昭和62年度に公有地化することができ、現在歴史公園として一般に公開しています。
展望台から入生田駅方面 後方の山は明星ケ岳
二の丸跡
本丸跡です
物見台
物見台からの展望
天守台跡
西曲輪跡
南曲輪跡
南曲輪下の石垣(角石)
現存する石垣