沼 田 城

群 馬 県


所 在 地
通   称
城郭の構造
築 城 年
築 城 者

主な改修者
遺   構
指定文化財
再 建 造 物
訪 問 日


群馬県沼田市
倉内城(初期の名称)
丘城
1532年
沼田顕泰、本庄秀綱、猪俣邦憲、
真田氏
真田信幸
土塁、塀、石垣、城門(移築)
沼田市指定史跡

2009年10月25日

沼田氏と沼田城
沼田市は群馬県の北部に位置し、四方を山に囲まれた盆地を中心として、利根川や薄根川・片品川周辺には非常に高い河岸段丘が発達しています。沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏(ぬまたし)の12代万鬼斎顕泰(ばんきさいあきやす)で、天文(てんぶん)元年(1532)の頃であると云われています。倉内(くらうち)城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名によりめまぐるしい争奪が繰りひろげられることになりました。

天正(てんしょう)8年(1580)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸(さなだまさゆき)は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来攻した平八郎景義(へいはちろうかげよし)を謀殺して沼田氏を滅亡させました。しかしこれ以後、この地の領有を主張する北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、同18年(1590)に北条方が真田方の名胡桃城(なぐるみじょう)を不法に攻略したことが契機となり、北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵(あんど)し、昌幸は沼田城を嫡子の信幸(のぶゆき)に与え信濃国(しなののくに)上田へ移りました。

真田氏と沼田城
2万7千石の真田氏初代沼田城主となった信幸は近世的な城郭の整備にとりかかり、二の丸、三の丸、堀、土塁、大門等の普請(ふしん)の後、慶長(けいちょう)2(1597)年(一説には12年)には天守(てんしゅ)が完成したと云われています。現在の熊小屋付近に建造された天守は、幕府に提出した城絵図や古文書から規模は「九間(けん)十間(けん)」で「五重」であったことが分かっています。 真田氏はその後2代信吉(のぶよし)、3代熊之助(くまのすけ)、4代信政(のぶまさ)、5代信利(のぶとし)と約1世紀にわたって沼田領を治めていましたが、天和(てんな)元年(1681)11月、5代信利は江戸両国橋(りょうごくばし)用材の伐出し遅延と失政の名目で城地は没収、改易(かいえき)となりました。城は幕府に明け渡され、翌2年に城はすべて破却されて堀も埋められました。

その後の沼田城
真田氏改易後、旧真田領は天領(てんりょう)となりましたが、元禄(げんろく)16年(1703)本多正永(ほんだまさなが)が幕府より沼田城復興を命ぜられ2万石で入封しました。しかし、城の本格的な復興はなされず、城破却で埋められた堀の整備や土塁の構築などが行われたのみで、本多氏3代のあとは再び代官支配となり、その後享保(きょうほう)17年(1732)黒田直邦(くろだなおくに)が3万石で入封し、2代続きました。

寛保(かんぽう)2年(1742)には土岐頼稔(ときよりとし)が3万5千石で入封し、土岐氏は12代頼知(よりおき)で明治維新を迎えて沼田城は廃城となりました。
真田氏改易以降は三の丸に藩邸が建造されたものの、天守が再び建造されることはありませんでした。
大正5年(1916)、旧沼田藩士の子である久米民之助(くめたみのすけ)(沼田市名誉市民)は、城地の荒廃を惜しみ私財を投じて購入して公園として整備し、大正15年(1926)に沼田町に寄付されました。

現在の沼田城
現在、本丸と捨曲輪(すてぐるわ)と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園(一部市指定史跡)に、総曲輪(そうぐるわ)の一部が沼田小学校や沼田女子高等学校の敷地となっています。本丸跡に西櫓台(にしやぐらだい)と石垣、本丸堀の一部がみられ、僅かに城の名残を留めています。本丸跡には鐘楼(しょうろう)が建設され、真田信吉が鋳造させた城鐘(じょうしょう)(県指定重要文化財)の複製品が釣下げられています。二の丸跡には、旧生方家(うぶかたけ)住宅(国指定重要文化財)や国の登録有形文化財の旧土岐(とき)家住宅洋館、旧日本基督(キリスト)教団沼田教会紀念会堂が移築されています。

鐘 楼(しょうろう)
寛永11(1634)年、領内の安泰を祈願して真田河内守信吉に鋳造されながらも城の破却などで浮沈の運命をたどった「城鐘」を保護しようと、明治20(1887)年旧沼田町役場敷地内に建てられたのが「鐘楼」。
昭和39(1964)年、市庁舎改築で取り壊されるまで、市民には「時鐘(ときのかね)」として親しまれ、昭和58(1983)年沼田公園内に復元されました。
現在、県指定重要文化財の城鐘は、保存のため市中央公民館で展示され、複製品が時鐘を務めています。